30代後半となり、次の20年、すなわち定年退職の時期までを過ごす場所はここで良いのか・・・と本当に悩む時期がありました。現在の生活環境(居住地)や収入面ではそれほど不満はないけれど、仕事に関して言えば、過去の対人トラブルや勤務先の体質的なところに、どうも自分とは肌が合わないところを感じているのは明らかだったからです。出向で社外に出ていた期間もあるし、新卒で入った会社ではなくここは2社目の会社だから、一応は比較対象があるの尚更・・・井の中の蛙ではないのです。しかし、マイノリティである僕は誰かを頼りにすることはできず、生活基盤を自分の力で創ることが必要なので、「転」じることによる収入面のデメリットがあまりに大きいこともあって、冒険はせずに現状維持ということで今に至ります。

 

稼ぐためにいるだけ在籍しているのであって、それ以外に存在価値はない。ここ数年はそういった価値観で職場での毎日を過ごそうと思ってきました。基本的に価値なしと考えているので、気持ち的には随分と楽ではあります。プライベートを詮索されることは時々ありますが、何を言われても所詮は「外野」ですから関係ないのです。とはいえ、ヒトというのはなかなか難しいもので(私に関して言えば)、現状を必ずしも公認することがどうもできずに、改善を試みようとアプローチしてしまう傾向があるようです。しかしながら、最近ちょっとした問題があって、心底愛想が尽きたというか、やる気が失せてしまった感があります。勿論、適当に仕事をするという意味ではなく、給料分のやるべき事はやっていますが、+αで何かに期待や希望をもって取り組むことの弊害があまりに大きいように思ってしまっています。

 

これ、神経をする減らしてまでやることではないかな、たぶん・・・。

 

”あるべき論”は考えることはあっても、それを口に出してはいけない。仕事に生きる意味を見出そうなどといったどこぞやの自己啓発本にありそうな思想信条を持つのは危険で、身の振り方を考える時期に来ているのかもしれません。

 

若い頃は仕事は人生だみたいな青臭い理論を信じかかっていたけれど、様々経験するうちに、その人の置かれた立場やライフプランによってはそれは必ずしも正しいことではないと考えるようになりました。このような感じで、年齢を重ねると若い頃には見えていなかった世の中の真理のようなものが理解できるようになったのではと個人的に思っています。

 

この週末は上京して学生時代の友人とお酒を呑む交わしておりました。アラフォーを迎えつつある世代で、世の常で関係が絶えた人も多いですが、私のこの状況を理解してくれている存在が未だに居てくれるのは感謝しかないですし、マイノリティであっても存在価値がある証拠なのではと思います。

 

お酒を呑んだ翌日は三浦海岸の海をのんびりと散歩。心が淀みかけた時に訪れたくなる場所です。