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このブログでは、令和哲学カフェの開催レポート、まとめを記事にしています。

 

第321回令和哲学カフェは、「千利休」を題材に深めています。

今回のフォーカスポイントは、わびさびでした!

侘び寂びと言うと、抽象的なイメージがきますよね。

 

そして、今日のテーマは、

 

利休は人間をどのように定義したのでしょうか。

利休は、完全よりも不完全がより美しいと気付き、誰もが不完全であることは身分に関係なくみんな平等だとし、
その本質の平等から現実でも、一人一人尊厳を主張できる、まちびと精神で本当の民主主義の概念を持てると考えたのではないでしょうか。


そして、次のNoh先生からの問いは、

 

侘びていく、寂びていくことをどう感じますか

無駄なものをすべてそぎ落とし、日常の中で美しさを見出し、春の桜が一斉に咲いて散るように、人間のすべての動きを「茶道」ひとつだけを残すことを「寂び」、茶道一つに集中したら「侘び」といい、侘び寂びは表裏一体の関係と言えます。

 

宇宙自然も複雑で多様にみえますが、シンプルな源泉動きだけが実在します。
複雑を0化するのが寂び、0化した時に一つだけ残るもの、これが侘びです。

利休は戦国時代に生き、人間の究極の存在意味は何なのかを問いました。
利休が人間モデルとして立ち、すべての人がそこに収斂していくと、それは寂び。
残った人間モデル1つは侘びと言えるでしょう。