4月から始まった3ヶ月間の新隊員教育。徹底的に肉体を鍛え、戦闘技術を磨き、知識を蓄え、その3ヶ月の態度が評価基準となり、希望する職種に就くための希望調査を経て、配属命令を受けます。


「中本二等空士を第1術科学校 航空機整備過程に配属を命ずる!」

中隊長よりの命令を受け、中本二等空士は夢にまで見た戦闘機整備士への第1関門をクリアしたわけです。

1中隊約200名で8中隊総勢1600名強の新隊員の中でわずか20名程度の難関(とはいっても1600名全員が別に航空機整備をやりたいわけではありません(笑))を突破して、熊谷基地をあとにしました。

ちなみに術科学校とは、専門の職種を勉強するために全国に5校ある航空自衛隊の専門学校です。第1術科学校は航空機整備関連、第2術科学校は兵器、などなどいろいろとあるわけで、僕は浜松基地にある第1術科学校への道が開けたわけです。


さて、新隊員過程の卒業式を終え、3ヶ月ぶりの外出、これから全国に散らばる同じ釜の飯を食った素晴らしき仲間と上野のアメ横に立ち寄り居酒屋で打ち上げ会。その後、みんなは東京駅で別れ久しぶりの実家への岐路に着いたわけです。仲間と別れたくない僕と杉江は、こだまの停車駅で降りる仲間のために、ともにこだまでのんびりとふるさとへ向かいました。


同じ釜の飯を食った仲間、あれから20年にもなり、あったこともない仲間もいるけども、初めての自立、苦楽を共にした仲間、炎天下の行軍で貧血で倒れたことも・・・、射撃で最優秀射手になり、体育の授業で「気を付け」の姿勢で教官をにらむと、「いい目をしている!」と言われ、第2中隊第10班の打ち上げで、飲みなれない酒を飲み(法律違反ですが・・・)急性アル中になったことも、今となっては全てよい思い出です。


思い出・・・思い出はいつまでも心の中で生きています・・・

最後はセンチメンタルな気分に浸ってしまいました(笑)