2015年12月にひょんなことからハマってから8年強の間追いかけてきた鶴見線と南武支線の205系ですが、高校やバイトに行くのにも利用していました。今回はどちらかというとこういった日常利用でのお話。

ついこの先日、この記事に登場する列車に乗ってきて、また私自身を取り巻く環境にも色々と変化があり、込み上げてくるものがあったので記事にしてみます。

先に申し上げておきますと、この記事は電車自体のお話ではなく私の自分語りが主体となります。皆様が期待されるような貴重な写真は出てきません(そもそも、こんなブログに期待してくださっている方がいるのかって感じですが)のでご承知の上ご覧下さい。


私には2017年、高校生の頃に始め、社会人になった今でも副業として続けているアルバイトがあります。

具体的な企業名・場所は伏せますが鶴見にあり、夜まで勤務になった時は鶴見22:35発の扇町行最終列車、浜川崎22:53(現在は22:54発)の尻手行最終列車を乗り継ぎ、自宅のある尻手まで利用していました。

鶴見から尻手に帰るなら京浜東北線と南武線を川崎で乗り継ぐのが一般的なルートだし、そもそも自転車で通える距離なのですが205系に乗りたい私はわざわざこんなおかしなルートで帰宅していました。

最初は205系に乗るのが目的でやっていたこのおかしな帰宅は1ヶ月も続ければいつの間にか日常になり、205系の柔らかいシートに腰を下ろし考え事などをするようになりました。

社会人は来年度でようやく2年目といったところで、誰かにモノを「教わる」ことの方が多いですが、こちらはもう7年が経過し、みんなの先輩にあたる部類。人にモノを「教える」というのはどんな場においても難しいもので、よく頭を悩ませたものでした。


▲2201電車。写真のT18編成は既に廃車回送されてしまいました。

そんな時にボーッと考え事をするのに使っていたのが205系電車。乗車時間はトータルで30分にも満たないですが、あまり混雑してなく、一定の間隔で流れていく景色やジョイント音、疲れ切った身体を投げるように腰掛けても優しく受け止めてくれる柔らかいシートは、こういう場においては自宅よりも心地よいモノでした。
2号車の1号車寄り車端部は205系をはじめとする古い通勤形電車特有の肘を置けるスペースがあり、なおかつ優先席ではないためそこを私の定位置とし、そこで考え事をしたものでした(ただし、たまにダイヤが乱れた時に回復運転をすると、走行音が録りたくてそれどころではなくなったりもしました笑)。
2020年に武蔵野線、2022年には宇都宮・日光線、同じ神奈川県内の相模線からも205系が姿を消し、南武支線に関してもこの時期から置き換えのウワサがちらほらと流れ始めましたが、いつまでもこの贅沢な日常が続くと思っていました。
しかし、やはり登場から35年以上経ち、故障が目立つようになってしまった中原の205系がいつまでも走り続けられる訳もなく、2023年に南武支線・鶴見線205系はどちらも置き換えが発表されてしまいました。

▲2211H電車。この日が写真の浜2最後の充当となりました。

南武支線には新潟で活躍していたE127系が2編成転属、205系は2023年1月に検査を通した浜4が1本残留することになりましたが、鶴見線の方はE131系で全て置き換え、ワンマン化することになりました。
2023年になってからは私も就職し、アルバイトにはあまり顔を出せなくなりました。
私が指導を担当した後輩たちも立派に成長し、いつの間にか頭を悩ませることも少なくなりました。

▲2023年7月の中原支所での撮影会。思い出の2列車の表示をリクエストさせていただきました。

9月には南武支線E127系、12月には鶴見線E131系がそれぞれ運用を開始しましたが、それに伴う205系の置き換えは予想以上に速いスピードで進んでいきました。
南武支線の205系のうち、浜1・浜2はE127系がデビューする前に運用の拠点であった弁天橋を去り、鶴見線もE131系がデビューしてから1ヶ月も経たずにT17を残して全て運用離脱。長く続いた日常が一瞬で過去のものになってしまいました。

▲2024年2月26日 鶴見線205系による最後の「扇町終」
去る2月26日、いよいよ鶴見線205系による最後の「扇町終」となりました。
この日はアルバイトはなく、仕事終わりに205系を撮影するために鶴見線へ出向きましたが浜川崎終まで撮影せず、たくさんの思い出が詰まったこの扇町終に乗って帰ることにしました。
普段は上の写真に映っている方達と同じようにこの電車を待っていましたが、この日は最後の姿をカメラに映してから乗車しました。
いつものように2号車の1号車寄りの席に腰掛け、浜川崎で降り南武支線へ乗換。
出迎えてくれたのは浜4でした。
最後の最後まで、いつものように205系の座席に腰を下ろすことができて本当に幸せでした。
そして翌27日、鶴見停泊明けの03運用を朝夕ともこなし鶴見線205系は全て引退しました。
また、私が指導を担当した後輩が先日就職のため巣立っていきました。
鶴見線はワンマン化され、ピカピカなE131系の独壇場となりました。
揺れも騒音も少なくなり、わかりやすい案内装置や自動放送も搭載され、一般利用者からすれば遅延が少し増えた以外いいことしかない変化だと思いますが、私の思い出がきれいさっぱり無くなってしまった気がして悲しかったです。

▲ワンマン化された鶴見線。写真は2000B〜2101のT8編成
3月21日、E131系撮影のついでに、思い出の扇町終に乗ってみました。
やってきたのは最新のT8編成。この編成が営業運転を開始したのは3月1日で、鶴見線用の205系とは同時に運用に就くことがなかったということになります。
この車に乗って、いつものように浜川崎へ向かいました。
浜川崎でいつものように乗換。やってきたのはT17が最後に扇町終に入った日と同じく浜4。鶴見線205系はダイヤ改正前に全部引退してしまいましたが、南武支線の205系はダイヤ改正を無事越えられ、今も元気に走っています。
この日は小田栄の踏切で車が立ち往生したようで、南武支線の尻手終は10分近く遅れてしまいましたが、無事尻手に着き、乗ってきた浜4は折り返し回送となり常駐先の弁天橋へ帰っていきました。

仕事を教えた後輩は巣立っていき、205系も続々と廃車回送され、この春私はすっかり抜け殻のようになってしまいましたが、とりあえず残った205系を悔いなく記録すること、また鉄道趣味以外でもなるべくは悔いのないように生活を送っていこうと思いました。
今回の記事は以上です。次回からはまた編成別の記事に戻ります。
多分年度内には終わらないと思います。そういうとこだぞ
最後までご覧いただきありがとうございました。