1983年トヨタカップ グレミオ対ハンブルガーSV

 

はじめてのドイツのクラブが出場した第4回トヨタカップはレナトの2ゴールでグレミオが勝利、南米不敗神話が続くこととなった。

 

 

世界一のタイトルを獲得した一同は試合後あるスポーツバーで祝勝会がてらにこの試合のビデオを見ることなる。まだまだ日本ではビデオデッキが一般的に普及していない時代、もちろんブラジルでもそれは同じで選手たちは先ほど行われた試合を無言で見入っていたとその時のマスターは話してくれました。

 

そして最後まで試合を見た後にグレミオの選手たちが言った言葉は

 

「もう一回」

 

だったとか。

 

延長戦にまでもつれたので試合全部で約2時間半くらいになるでしょうか?

試合に勝った喜びなのか、ビデオで見る映像がよっぽど珍しかったのか、それでも気持ちは分かるような気がする。

1996国際親善試合(五輪)ブラジル対デンマーク

 

アトランタ五輪といえば日本人ならマイアミの奇跡が最も印象深い出来事だろう。ドリームチームとも呼ばれ、優勝候補の大本命とまで言われていたセレソンを1-0で下したのだからだ。

 

今回はその奇跡を語る上では外せない試合だと勝手に仮説を立てて推測の上に書いてみました。真実とは異なるかもしれません。

 

 

五輪本番前に行われたブラジル対デンマークの試合、本気モードを物語るエピソードとしては選手はネーム入りのシャツを着用していたこと10番はRIVALDO、7番はキャプテンのBEBETOといった具合に。余談だがロナウドは背番号4のセンターバックのRONALDOで、あの怪物ロナウドは18番でRONALDINHOの名前で登録。ちなみに94年W杯ではこれまた違う(エスパルスにいた)ロナウドがロナウダンの名前で、怪物ロナウドはRONALDOのまま登録されていた。だから当然登録外のバックアッパーの選手は背番号のみのネームなし…。

 

本題に戻ると、初戦で当たる日本代表スタッフはスカウティングのためにこのデンマーク戦を見たとしよう。普通に戦えば結果は明らか、相手を徹底的に分析することによりなんとかドロー、勝利の確率を上げたいと相当な分析をしたのではないかということは想像できる。なんといっても西野監督、山本コーチは日本代表のスタッフとしてオフト監督時代には偵察もしていたことがあったからだ。

 

実際にこの試合はブラジルが5-1で勝利、

「ブラジルはやっぱり強い」

「ブラジルに死角なし、優勝間違いなし」

こんな感じで日本のマスコミはブラジルの強さを記事にしていたことだろう。

 

ただこの試合を見てみると、意外なほどブラジルはデンマークに攻め込まれている。特にゼマリアとロベカルという両サイドバックの攻撃参加によりDFラインに大きなスペースが生まれ、またボランチの二人も中央部をポッカリと開けたりするのも目立った。デンマークはここを突き試合序盤に5本くらいシュートを放っていた。対するセレソンは0。

 

攻撃もどことなくチグハグさが目につき、決してスコアのような圧勝だったようには思えない。日本サイドにしてみたら付け入る隙は十分にあると思っても不思議ではなかっただろう。デンマークがブラジル攻略のヒントをもたらしてくれて日本が実行したという推測が成り立つのかもしれない…。あくまでも個人的な推測ですけど。

 

 

 

1982W杯スペイン大会 ブラジル対ソ連

 

1982年のW杯ブラジル代表といえばあの黄金の四人が頭に思い浮かびますが、同じくらいにインパクトを残した選手がいました。

エデル・アレイショ・デ・アシス。

 

 

 

エデルの最大の魅力は左足から繰り出されるキックにあります。

 

特にアウトサイドで曲げるボールは芸術的で、この試合でもGKが一歩も反応できないほどのシュートを決めました。味方がスルーしたボールを少しすくい上げて浮かせてからの左アウトサイドに乗せるような感じでのキック、当時世界最高のGKとも呼ばれていたダサエフも見送るだけ。

 

 

しかもインプレー中で、さらに今のようにボールに回転をかけやすいボールと異なることを加えると、間違いなく彼が史上最高の左足のFKのキッカーです。

 

エデルのポジションは左ウイング、当時のウイングといえばサイドを突破してクロスボールというのが定番でしたが、彼の場合はサイドラインあたりからでもゴールを狙ったりします。もちろん左足のアウトスイングの軌道で…。

 

サッカーにのめり込むきっかけとなったエデル、今でも子どもの頃の記憶は頭に焼き付いて離れません。