たくさんの大人が、
あいさつは大切です!
といいます。
そして、たくさんの学校が、
コミュニケーション能力を高める教育を行います!
と、高らかに宣言しています。
そんな言葉や方針を耳にするたび、私は少し首をかしげてしまいます。
そういうとき、私の目に浮かぶのは、あいさつしなければと思いつつ、それがうまくできなくて、はにかむような表情を見せる子だったり、自分をうまく表現できずに静かに自分の世界の中に閉じこもっている子どもの表情や姿です。
私は、あいさつというものは、心がこもっていてはじめて意味をなすものだと思っています。
どんな感情も感じさせないお芝居の台詞のようなハキハキしたあいさつを子どもからかけられると、不自然さというか違和感さえ感じてしまいます。
権威ある大人から、あいさつするようにと厳しく指導されているのだな、と思ってしまいます。
目があって、少し顔をほころばせて、ちょこんとお辞儀する。
その子がそういうタイプの子なら、それで十分ではないでしょうか。
私は、よく、小さな子が、お母さんから、「あいさつしなさい」と言われているのに、はにかんであいさつできない姿が好きです。そういう姿を美しいとさえ感じます。当然、そういう姿を見て、「ああ、この子はだめな子だ」などとは全く思いません。
しかし、今のこの世の中の教育は違います。きちんとあいさつができて、周りの人と円滑にコミュニケーションを取とることができ、自己をうまく表現できる人を作ろうとしています。
でも、世の中には、ほとんど他人とコミュニケーションをとらず、饒舌な自己表現もせず、素晴らしいものを作り上げたり、誰に迷惑もかけず、自分の世界を生きていく人もいるはずです。
そういう人たちの人生は誰が応援するのでしょう? 誰が手助けするのでしょう?
そういう少数派に生まれついた子どもたちは、「皆ができることができない子」というマイナスの評価を受け、ただ自分だけの力で自分の生きる道を開拓しなければならないのです。
それは何と不公平なことでしょう。きっとたくさんの子が、その不条理に耐えきれず、希望をなくし、不登校になったり、引きこもりになったりしていることと思います。
教育というものは、そもそも、「子どもはこうあるべき」とか「こういう大人が立派」という目標を作ってはいけないもので、子ども一人一人の個性を重んじ、その個性に合った生き方の手助けをしてあげるべきものだと思います。
文科省には是非、そのような教育を指導していただきたいと思います。日本の教育がそういう方向を向かなければ、いつまでたっても引きこもりや不登校の問題は解決しないでしょう。わずかな光でかまわないので、そちらに光を当ててあげてください。
今年の入試結果、卒業生からのコメントはホームページでご覧下さい。
新3年生の講座は満席となりました。