一般的に
『吉村』といえば
『大槻教授には
ロマンが無い
!』

“エジプト馬鹿一代”
吉村作治
『この写真、
バカボンみたいだろ?』
“ハマの扇風機”
吉村裕基
『ハヒフヘホ~ッ♪』
尋ね人
などの名前が
上がるかと思いますが
バイク乗りの思う
吉村はカタカナ表記の
『ヨシムラ』でしょう。
↑先日の箱根での
イベントにて撮影。
ライムグリーンに
軽く胸キュン(死語)
ヨシムラといえぱ
やはりマフラー。
ウチの仲間でも
カタナ
チタンサイクロン
ダエグ
チタンサイクロン
ハヤブサ
トライオーバル
オレのカブくん
ステッカーのみ本物
マフラーは偽物(笑)
CB750F
マフラーも
ステッカーも偽物(笑)
後半2台はともかく
3台がヨシムラを使用。
町行くバイクも
ヨシムラ装着車って
結構多いよね。
そんなヨシムラには
若い頃ちょっとした
思い出があるんだよね。
ときは1980年、
田舎の中坊マル出しの
坊主刈りだった中3の夏
イッコ上の先輩が
ヨシムラの集合管を
高らかに響かせながら
真っ赤なZ400FXで
現れました。
あまりのカッコよさに
1年後の夏、
16歳になったオレは
30万円で
中古のFXを手にいれた。
毎日乗り回していたら
ある日怖いオニーサンに
止められて
こう言われた…
オニーサン
『お~、
この“フェックス”
俺のじゃん!!』
オレ
『えぇ(((;゜Д゜)))!
そそそそそんなっ!
この前、Aモータースで
買ったんですよっ!?』
オニーサン
『(笑)そーじゃねーよ。
去年まで俺が乗ってて
アソコに売ったんだよ。
そーか、
お前が買ったのか…
だったらウチに
ヨシムラがあるから
お前にくれてやるよ!』
オレ
『マヂっすか( ̄▽ ̄;)?』
(やった!
憧れのヨシムラが
無料で手に入る!)
つーワケで
後日オニーサンの家に
引き取りにいくと…
YOSHIMURAの刻印の
“A”
しか残ってない見事に
バラチョン
(腹の下でチョン切る事)
されたマフラーを
満面の笑みで
手渡されました(爆)!
嫌な予感はしていたが
やはり暴走族の
人でしたね
。

こんなもん要るかっ
!

…とも言えないので
丁寧にお礼を言って
マフラーを担いで
ウチに帰る(笑)。
さすがに
使用不可なんで
自分で買うハメになり
お金を貯めて台風の中、
ハイウェイバスで
(当時、地元に新幹線の
駅が無かったので)
上野のバイク街へ。
まだ前記事の
『コー○ン』が
バイク街を牛耳る前で
日曜日のバイク街は
まさにお祭り騒ぎ。
当時は地元に無かった
『吉野家』で
初めて牛丼を食べる。
現在は使ってない
キャッチコピー、
“早い、安い、美味い”
を体験して感激(笑)!
当時、コチラも
地元では入手不可だった
『中部Mr.バイク』の
ステッカーを買い、
ヨシムラを探すが
みつからない(-_-;)…
(つーか当時の
オレの地元ってどーよ?)
ある店で聞いたら
『ヨシムラ管は
もう廃盤になったよ。』
と死の宣告を受ける(笑)
露骨にガッカリしてたら
店のオッチャンが
こう言った…
『モリワキだったら
1本あるけど!?』
…30分後、
『名代 富士そば』で
天ぷらそばを食べ、
モリワキワンピースの
集合管を担いで
各駅停車に揺られる
オレがいました(笑)。
(新幹線も停まらず
マフラー担いで
ハイウェイバスは
無理なんで
)

つーか
前記事でもそうだが
どんだけマフラー
担いで歩いたんだ
若い頃のオレは(爆)?
そんなこともあり
いまだに
ヨシムラのマフラーを
つけたコトがありません

以上、
集合管をつけてるだけで
パトカーに追われてた
時代の
エピソードでした(笑)。
ホント、
今はイイ時代になった…