ZAKZAK
相葉君の性格…おもしろい、明るい、元気、天然。
中学に入って突然、「相葉君」の大ファンになった姪っ子が記者に渡したメモには、幼さの残る字でそう書いてあった。
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目の前に現れた相葉君は、少し疲れているようだった。日中はずっとテレビ番組の収録。夜は新聞と雑誌のインタビュー。この日だけで8本。終了はおそらく日付が変わるころだろう。これが「アイドル」の日常。
疲労のせいか、それともちょっと緊張しているのか、相葉君はとてもきまじめな顔をしていた。内心「しめた」と思った。きょうは姪っ子に、違う「相葉君」を見せてあげたい。元気で天然、ではない相葉君。だけど、静かに話す相葉君もすてきだよ、と。
【デビュー10周年】
いま、10周年の記念ライブを続けています。1999年から2009年までの「嵐」を伝えるライブであると同時に、これはゴールではなく通過点ということも見せなければならない。そういうテーマのライブです。
初日は8月28日の国立競技場でした。ワイヤに吊られて、お客さんの上から登場するんですが、俯瞰で見たら、会場の全員が見えてね。こんなにたくさんの人が、と登場の時から感動して泣きそうでした。
僕は16歳から「嵐」です。成長期というか青春はほとんど「嵐」でした。バイトをしたこともないし、世間知らずな部分はたくさんあると思うんですけど、でも…、何も後悔してないですね。
あれは2002年かな、肺が破れたんですよ。番組の企画のためにサックスを練習したんですが、やりすぎちゃったんです。肺が破れて痛いのに練習を続けて、右の肺がなくなるぐらいになっちゃった。気胸でした。
1カ月入院だと言われて、本気で「嵐をやめようか」と思いました。でも、奇跡的なんですが、5日で退院できたんです。その時、『まだ、やれってことかな』と思いました。あの入院が、いまの僕の精神状態というかメンタル面を支えているのかもしれません。
10年間続けてこられたのは、僕ら5人が同じ方向を向いていたからだと思います。僕たち、10年間で一度も喧嘩をしたことがないんです。本当ですよ。むしろ年々、仲良くなっているというか、「嵐」でいることの大切さや楽しさを日々感じています。だって、「今年、5人で旅行にでも行こうか」なんて話しているぐらいですから。
【ドラマ「マイガール」】
今回がドラマ初主演です。そのことをあんまり考えすぎると、どんどんナイーブになっちゃいますけど、僕が引っ張らなくても現場はスムーズに回っています。ほかのキャストとスタッフの方のおかげです。
突然、5歳の娘が現れるという設定で、なかなかパパになりきれないという役柄ですが、実は僕、バラエティー番組の企画で「チャイルドマインダー」(=プロ保育者)の資格を取っていて、子供はわりと得意なんですよ。でも、自分の子供じゃないから可愛がれるのかもしれません。親としての責任はありませんからね。この役を演じてみて、そう思います。
【おやじとかあちゃん】
入院した時に、かあちゃんが見舞いにきてくれて思ったんです。よけいなことは言わないけど、家族って何があっても味方だな、って。何を話すわけでもないけど、いるだけでありがたい、みたいなね。
おやじのことも、大好きですね。僕、小学校にあがるまで、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられたんです。おやじは料理の修業で、かあちゃんと一緒に家を出ていたんですよ。小学校に入る時、おやじが自立して中華料理屋を出して、それから一緒に暮らし始めました。
1階がお店で2階が自宅だったので、おやじの働いている姿をずっと見ていました。いつも仕事しているけど、いつ帰っても家にいるし、さみしくはなかったですね。おやじも頑張ってんだな、と見ていたので反抗期もありませんでした。
いまでも実家に帰ったら、おやじと一緒に飲みます。でも、お互い仕事の話はなぜか避けますね。ゴルフとか、バイクの話とかしています。
僕、おやじの影響をすごい受けているんですよ。おやじは船舶やバイクの免許を持っているんですが、僕もまず船舶を取って、バイク取って、車を取って…、おやじのルートをたどっているんです。
弟も一緒ですね。おやじや僕と同じルートをたどって、バイクに乗っています。弟は外で料理の修業もしていて、そろそろ店を出したいと言っています。やっぱり同じルートなんです、おやじと。
でも、おやじはなーんにもしてないですよ。(しつけは)かあちゃんがほとんど言っていて、おやじは何も言わない。そのバランスが良かったのかもしれないですね。
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おもしろくて明るい、だけではない相葉君。でも、これが26歳のアイドルの素顔。たぶん、大人のおじさんたちも、相葉君のことを好きになるはずだ。