すさまじすぎるエピソード満載光GENJIだったあのころ
R25
80年代後半、時代を動かすスーパーアイドルグループが誕生した。
光GENJIと名づけられたそのグループは女子のハートを直撃。
単なるアイドルの枠を超え、社会現象にまでなった。とくに、明るく天真爛漫なキャラクターで、人気を集めていたのが諸星和巳さんだ。光 GENJIとしてのデビューから22年たった今も、様々な方面で活躍。6月下旬から7月上旬にかけて、ミュージカル『EVIL DEAD THE MUSICAL~死霊のはらわた~』の主演も控えている。その練習中の稽古場で、諸星さんの素顔に迫った。
「もともと歌とか踊りとか、あまり芸能界に興味がなかったんですよ。なんか流れでそうなっただけで。ローラースケートを履けって言われた時も、なんで履かなきゃいけないんだよって思った。
人に言われると、やりたくなくなるタイプなんですよ。嫌なクソガキですよねえ(笑)。まあ、ローラースケートは、何も考えずに楽しめるところが好きで、最終的に納得してやりましたけど。ただ、ケガは絶えなかったですね。デビューして今まで骨折を15回やってますから。一番最悪だったのは、まず右足を骨折して、その1週間後にコンサートがあったんですけど、そのオープニングが舞台の下からジャンプして出るっていう演出で、着地した瞬間、左足をグキッと(笑)。オープニングで両足骨折状態。
これでスケート履かなくてすむ、ラッキー!と思ったら、次からは車イスで出ることになって。メンバーの内海が調子に乗って僕の車イスを引きずり回したんですよ。そしたら、なぜか会場から下着が飛んできて(笑)。内海のローラースケートに下着が巻きついちゃって転倒。そのままサ-ッと車椅子が壁にぶつかって尾てい骨骨折ですよ」
なんともすさまじいエピソードだが、もちろん人気の面でも驚がくする話には事欠かない。労働基準法の解釈まで変えさせたというから、その人気ぶりがうかがえる。芸能人で表現者とみなされたものは労働基準法の適用外という結論が国会で出されたのだ(現在は自主規制されている)。
「たしか、基本的に15歳未満は、夜8時以降テレビに生出演しちゃいけないってことになってたんだよね。それを僕らのグループがなくした(笑)。総理大臣がサインをくれって言ってきたこともありましたよ、竹下さんが。その孫が DAIGOだっつう話なんだけど(笑)」
「こないだ電話で話しましたよ。かわいいやつですね、礼儀正しいし。今、こうやって偉そうにしゃべってますけど、当時はそれほど天狗でもなかったと思いますよ。鼻がのびても50メートルくらいかな(笑)。多少はね、売れて変わるのは当然でしょ。変わらない方がしたたかというか、裏があるんじゃねーかって思っちゃいますよ。でも、売れてもあんまりピンとこなかったですね。先輩たちが周りにいたんで。みんなスターなわけじゃないですか。裏を返せば、売れて当たり前だろってところがあったんですよ」
売れれば売れるほど、多忙を極めるはず。しかし、忙しくてつらいと思ったことはなかったという。
「当時はストレスなんて言葉はなかったんですよ、僕の辞書には。そりゃあ、だるいよ!筋肉痛だよ!とかはありましたけど、それほど神経も使ってなかったし、仕事というよりも学校に行ってるような感じでしたから、全然つらくなかった。
タモリの校長先生に会いに行こうとか、北野のおじさんに会いに行こうみたいな(笑)。まだ思春期だったし、寝ないでも遊びたいくらいで。移動中になんとか睡眠をとってね。当時は、カメラマンの人たちも追っかけてきたんで、そう簡単には遊ばせてくれなかったですけど、その合間をぬって遊ぶのが楽しいんですよ。鬼ごっこみたいで(笑)」
一般の人から見ればハードコアな生活かもしれないが、諸星さんにとってはそれが日常だった。そんな日々が7年ほど続いたころ、光GENJIは解散する。
(R25編集部)