世の中の芸能人・有名人・著名人の場合は、その知名度からファンがかなり付きやすくファンレター、メール、プレゼント等が大抵の人には来ているものだと思います。
しかし、そのような立場の範疇に含まれる人はおそらく全国で1%未満でしょうし、国民の99%以上は名も無き一般人であるはずです。
ですが、そんな無名の99%が芸能人と比べてなにか人間として違いがあるのでしょうか?まったくないでしょう。
むしろ芸能人こそ「別になければなくても、人々が生きるのに支障が出るわけでもないオマケ職業」に近く、客観的にいっても一次産業(食べ物を作っている農家など)こそ社会のためには最重要の職業といえます。
農家のような一次産業だけではありません。配達員やらスーパーのレジ打ちやらだって、少なくとも生活という意味では芸能人よりは必要な存在ではあります。そのようなことでも、誰かがやってくれているからこそ今の我々の現代社会生活が成り立っています。
しかし、それらの99%の有名ではない無名人にとって誰かからファンレターが来るとかそのようなことはほとんどないでしょう。人々の生活には特に必要で、特に感謝されていいはずの人々が、です。
最悪、いなくても問題はない芸能人には応援の声が大量に届くのに、農家やスーパーのレジ打ちは誰からもまったく感謝を表明されないというのはおかしいと私は思います。
(※注:私は芸能人の存在を批判しているのではなく、豊かな文化を造るには芸能人も必要だと思っています。あくまで「客観的に見た、人間が生命維持することのに対する必要性のある職業」という意味では、必ずしも絶対必要ではないという意味で)
もちろん農家でも最近は生産者が個人名付きで売られていてコンタクトも可能であったり、企業内では功績を上げると企業内で表彰されたりとかそういうのは存在しますし、同業者の中でなにか張り合いをつけるような技術コンテスト(理容師だけによる技術コンテストとか)などもある業種もあるにはあります。
ただ、アルバイトとかの流れ作業員なりレジ打ちなり肉体労働者なりにはそのような機会もほとんどないように思いますが、どうでしょうか。
別にファンレターとか雇主から感謝されたりとかそういうのがなくても、レジ打ちならレジ打ちした時にその時のお客さんに単発で挨拶されたり感謝されたりはもちろんあると思います。私はそれは当然利用したみんながやるべきものだと思っており、レジ打ってくれた人には出来る限り感謝を表明するようにしています。
客がレジ打ちの人に対して丁寧に「ありがとうございます」と言えれば一番いいですが、急いでいる時やシャイな人でも出来れば「どうも」の一言でもいいからレジ打ってくれた方には出来るだけなんらかの感謝を表明した方がいいと思います。
どうしても声がかけられない場合は、最低でも会釈はすべきだと私は考えます。これなら、いくらシャイな人や急いでいる人だって出来るはずです。これがあるだけでも、レジ打ちの方にとっては全然印象が違うはずです。
自分がもしレジ打ちだったら、いくら生活費のためとはいえまったく不愛想な客だったり「店員は客にサービスして当然だ」とばかりに横柄な態度の客ばかりだったらどうでしょう?いくらお金がもらえてもキツいと思いますし、モチベーションも続かないと思うのではないでしょうか。
「いやそれを割り切って耐えるからこそお金がもらえるんだから我慢しろ、それが仕事というものだ!人生はそんなに甘いものじゃないんだ!」という意見も一理はあるかもしれません。でも人間生きていて、ずっとそんなことをしてまで生きていて人生本当に豊かなのでしょうか?私は大いに疑問です。
よく「金もらってやってるんだから、不愛想な客だろうが仕事して当然だ」というような顔でレジ打ちに横柄な態度をとる客も見たりしますが、それは間違っていると思います。当然レジ打ちの人はお金を対価としてもらっていますが、レジ打ちしてくれる人がいるからこそその店でスムーズに買えるのであって、客が神様でレジ打ちは下僕なわけでもありません。
お互い持ちつ持たれつで、お互い感謝の心を忘れてはならないと思います。
なにか物を買った時、なにかを配達してもらった時、「自分がもし店員や配達員だったら」という立場で考え、お金はもらっていても誰かがやらなければならないことをやってくれている彼らに必ず感謝の態度を示すように、我々は忘れてはならないのではないでしょうか。