前回(http://blogs.yahoo.co.jp/wamoeba3/8591628.html)では感情の機能的側面について,感情が社会生活においての行動選択で重要な役割を果たしていることを示しました.今回は,これを工学と結びつける取り組みについて考えて行きます.
これまで私は,心が自己・自種を保存するための機能であると示してきました.では,ロボットにこの心を持たせるにはどのようにすればよいのでしょう.それにはそのような機能をロボットに持たせていくことが良いのではないでしょうか.
ではこのとき,心があるのか,それとも無いのかという判断基準はなんでしょう.これについては,観察する人の主観の問題になると私は思っています.
このあたりは非常に難しく,また人によって意見が大きく分かれるところではありますが,犬や猫の例を見てみましょう.
あなたは犬や猫に心があると思いますか?
多くの人はあると答えるのではないかと思います.しかし中には無いと答える方もいらっしゃいます.では,そのとき,我々は何を基準にして心があるか無いかを判断しているのでしょう.これは犬や猫の振る舞いを観察して,あるときには犬猫に働きかけて,そのレスポンスを観察して,そして判断しています.当然のことですが,誰も生きている犬や猫の頭を輪切りにして,脳細胞の状態を観察して心があるか無いかを判断しているわけではないのです.
ロボットについても結局同じことが言えるのではないでしょうか.すなわち,ロボットの心があるか,無いかを判断するには,ロボットとコミュニケーションをして,コミュニケーションをした人自身が,自分の心で決めることではないのか,と.
これはあまりにも無責任で,乱暴な判断方法です.しかし,これしかないと私は思います.他のどのような仮説もすべて結局は嘘を言っているようにしか見えないのです.
たとえば猫は自分の天敵に遭遇したときに,血中のアドレナリンを分泌させて,戦闘,もしくは逃亡を行うための準備を行います.このような反応を自律性情動反応といいます.この猫の自律性情動反応をきわめて客観的に観察すれば,ホルモンの分泌と,筋肉や心肺の状態変化に過ぎません.しかし,見る人が見れば,猫が恐怖の感情にさらされているようにも見えます.人間の情動反応もこのように考えられないでしょうか.そしてロボットも.
このような話をすると,「それは感情ではない.自己観察が出来ないではないか.」とお怒りになる方が結構いらっしゃって困ります.私に言わせると,自己観察に関わる部分は,自己意識の部分であって,情動や感情とはかなり切り離されていると考えています.もちろんある部分では密接に関わっていますが,自己意識が無くても情動反応のある生物は沢山あるように思えますし,自己意識があって,情動を失ってしまった人もいらっしゃいます.
私はロボットを低次から高次へと次第に積み重ねていく上で,まずは情動の部分について研究をするべきであると考えています.
では,次回は,この情動反応をロボットに導入するに当たって,どのような方法をとるべきかについて考えましょう.
これまで私は,心が自己・自種を保存するための機能であると示してきました.では,ロボットにこの心を持たせるにはどのようにすればよいのでしょう.それにはそのような機能をロボットに持たせていくことが良いのではないでしょうか.
ではこのとき,心があるのか,それとも無いのかという判断基準はなんでしょう.これについては,観察する人の主観の問題になると私は思っています.
このあたりは非常に難しく,また人によって意見が大きく分かれるところではありますが,犬や猫の例を見てみましょう.
あなたは犬や猫に心があると思いますか?
多くの人はあると答えるのではないかと思います.しかし中には無いと答える方もいらっしゃいます.では,そのとき,我々は何を基準にして心があるか無いかを判断しているのでしょう.これは犬や猫の振る舞いを観察して,あるときには犬猫に働きかけて,そのレスポンスを観察して,そして判断しています.当然のことですが,誰も生きている犬や猫の頭を輪切りにして,脳細胞の状態を観察して心があるか無いかを判断しているわけではないのです.
ロボットについても結局同じことが言えるのではないでしょうか.すなわち,ロボットの心があるか,無いかを判断するには,ロボットとコミュニケーションをして,コミュニケーションをした人自身が,自分の心で決めることではないのか,と.
これはあまりにも無責任で,乱暴な判断方法です.しかし,これしかないと私は思います.他のどのような仮説もすべて結局は嘘を言っているようにしか見えないのです.
たとえば猫は自分の天敵に遭遇したときに,血中のアドレナリンを分泌させて,戦闘,もしくは逃亡を行うための準備を行います.このような反応を自律性情動反応といいます.この猫の自律性情動反応をきわめて客観的に観察すれば,ホルモンの分泌と,筋肉や心肺の状態変化に過ぎません.しかし,見る人が見れば,猫が恐怖の感情にさらされているようにも見えます.人間の情動反応もこのように考えられないでしょうか.そしてロボットも.
このような話をすると,「それは感情ではない.自己観察が出来ないではないか.」とお怒りになる方が結構いらっしゃって困ります.私に言わせると,自己観察に関わる部分は,自己意識の部分であって,情動や感情とはかなり切り離されていると考えています.もちろんある部分では密接に関わっていますが,自己意識が無くても情動反応のある生物は沢山あるように思えますし,自己意識があって,情動を失ってしまった人もいらっしゃいます.
私はロボットを低次から高次へと次第に積み重ねていく上で,まずは情動の部分について研究をするべきであると考えています.
では,次回は,この情動反応をロボットに導入するに当たって,どのような方法をとるべきかについて考えましょう.
