今日は、地区の賽ノ神でした。
地域によって呼び方は違うのでしょうけれど、
私の育った長野では「どんと焼き」です。

子供会の小学生たちは、朝からそりを引いて各戸回って、去年の正月の縁起物やお飾りとお金を集めて回ります。

夕方からは火をつけるための準備もします。

ところで、我が家には、自閉スペクトラム症(アスペルガー)で、場面かん黙(学校など特定の場所で強い不安が出るなどの要因から、話せなくなる神経症)があり、丸2年学校に行っていない10歳の息子がいます。

2番目なので、このブログではにー君です。

この子が、学校で一緒の子どもたちはとても苦手ですが、地区の子どもたちのことは好きみたいで、この賽ノ神も、前日に「準備に行こうね」と言ったら、「それは好き」と即答。
前日にその気になっても、当日になって気が変わることもあるにー君ですが、今回は当日も行く気満々で、誰よりも早くスキーウェアなどを着て支度したのです。

こういうこと1つでも、母としては本当に嬉しくて、本人の前では当たり前の顔をしつつ、心の中では最大級のガッツポーズをしたりしちゃいます。

前日にあった町の初市も、出不精な息子は楽しみに出掛けましたし、この2つの行事は、にー君にとっては楽しいこととして定着したようです。

夜になって火をつける少し前のまっ暗闇のなか、今度は、登校しぶりしていた頃から、温かく見守り続けてくれている町内のおじさんが、にー君に声をかけてくれました。

基本的に、家以外では声を出さない息子ですが、このとき、なんと、会話がなされたのです。

おじさん「にー君、飯は食ったかい」
にー「うん」
おじさん「何食ったんだ」
にー「カレー」
おじさん「カレーか、うまかったか?」
にー「うん」

これだけなんですけどね。
会話が成り立ったんですよ、他人と。
これはもう、奇跡的な出来事です。

ただ、息子が他人と会話した機会は他にもありました。
電話です。

この2つの共通点。

それは、

顔が見えないこと!

顔が見えなければ、話せるわけです。
人の顔が、息子にとっては鬼門。恐怖の対象になるのですね。

…何か、先に一歩進めるヒントがあるような、ないような?
何かが浮かぶけれど、まだ点と点は結び付きません。でも何かが、見えてきたような。。

焦らずゆっくり、ね!

ちなみに息子、絵に才能を感じますが、いっとき、たくさんの目をテーマにしていたことがありました。

友人に指摘されて気がつきました。
人の目がもつ恐怖。

息子の中に、なにか生きやすく生きるためのヒントがあるような気がします。

そんな、あれこれを考えながら、無病息災を願って、持っていって焼いたもちをにー君とともに頬張ったのでした😃