有名人の訃報に接すると、身近な人が亡くなったような気がしてショックを受けるぐすん
有賀さつきさんが亡くなられたというニュースを聞いたときには、少し前までテレビで拝見していて少し痩せられたかなと思っていたので、ああやっぱりという気持ちが少しと、全く周りの人に感じさせずにお仕事などこなされていたことを聞いて、どれだけの努力をされていたんだろうと驚きを感じた。

最近大杉漣さんのニュースを聞いて、私もゴチなどで元気なお姿を拝見していたのでものすごく驚いたし、改めて人間いつどうなるかわからないのだということを実感した。
2年前に肺炎で入院した頃は自分がいつどうなるかわからない気持ちでいたのが、なんとか退院できて家で暮らせるようになり、それほど体調を崩すこともなくもうすぐ2年が経つ今となっては、「喉元過ぎればなんとやら」で死が少し遠いものになって、とても怖いものになっている。
自分は果たして今日死んでも悔いのないように生きているだろうか?と考えてしまったうーん

自分の生活を振り返ってみると、基本的にじっとしている。
動いたりごはんを食べたりすると苦しくなるので、BIPAPをつけて安静にしている。
特に食事の後は苦しいのでトイレは食後は避けていくくらいだ。
BIPAPをつけていてもできることは読書や手仕事、ゲームなど。
腕を動かすだけで息が切れるので動作は休み休み、人に合わせて動いたりすると後で長距離を走った後のようにドッと疲れが出るので、なるべく自分のペースで動くようにしているショック

自分一人でできることは限られていて、人に頼まないとできないことも多い。
そうなるともう自分の手には負えないので、相手に余裕があってやってもらえるときを待つしかない。
私は患者の仕事は『待つこと』がかなり含まれると思っていて、初めて入院したときには「cossyさんも待てない人だね〜」と言われたものだけれど、今ではかなり気長になっていると思う。
余裕を持って早めにお願いする、すぐやってもらえたらラッキー音譜みたいな。

家で過ごしていても、誰かが来てくれるのを待っている受け身な生活をしていることには変わりなくて、こんなことでいいのだろうか?と考えてしまう。
もう少し一生懸命、悔いのないように過ごさないといけないような気がするうーん