誰かが努力しているを見た時、

それを否定する者はいないだろう。

 

努力することは美徳。

自分もそう思う。

 

ただし、その努力の美徳にも大きく2つある。

 

パターンA。

ある人は、計算問題を効率よく、確実にするために、

基礎を積み、多くの計算問題をこなし、スムーズに正解を

出せるように努力した。

 

おかげで、誰よりも速く、正解率は高い。

なので、10問の計算問題を制限時間内の半分くらいで終え、

後は、ぼ~としている。

 

パターンB。

ある人は、ひたすら計算問題を常にその場で解く。

間違えていることにも気がつかない。

それでも必死になって解き続けている。

 

おかげで、誰よりも遅く、正解率は低い。

なので、10問の計算問題を制限時間内の2倍でも解けず、

それでも必死な顔で解き続けている。

 

この2つ。

どちらが努力していると評価されるのか。

 

現実はパターンBではないだろうか。

なぜって、評価する側が努力を知らないから。

 

そんな評価する側が、パターンAを見ると、

ダラダラとしやがって、と見えるのだろう。

 

それに比べ、パターンB。

がんばってんな~とか、言い出しそうである。

 

昭和時代の根性論か?

 

だが、これが現実。

誰1人として、パターンAを見習おうとはしない。

必死に頑張っている姿は確かに評価したいが、

その頑張り方がおかしい。

 

最初に計算を間違えて、

それでも、それを続けることが努力ではない。

にもかかわらず、高い評価が得られるのが現実。

 

パターンAがいくら主張しても、

聞き耳を持たず、

君もパターンBを見習えと言われる始末。

 

これが現実。

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来週から、職場での自分はこういう評価をされることが決まった。

マイナスオーラの塊と言うか、渦と言うか、

そんな中に身を投じることになりそうなので、

そんな今の気持ちを、このブログに記してみた。