タイトル、
どこか古いフォークソングではありますが…。
午前中は、スケートボードのスクールでした。
この体験を通じて、
「学びの場」
今日はこれについて、考えさせらる日でもありました。
スケボーのスクールと言えども、そこはきちんとした学びの場。
子供たちは、インストラクターの人の話を聞いて、
真似て、頑張っていましたよ。
あ、自分以外は、小学校低学年か幼稚園児でした。
終了後の全体写真、1人だけ大人で、どこか不自然でした(笑)。
さておき、学びの場とは何だろう?
学校はもちろん、職場での研修など、
場所的なことはすぐに想像がつく。
自分が思う「学びの場」。それは、
教える側は常に、教わる側から教わり、
教わる側は常に、教える側に教える。
もう少しわかりやすい表現にすると、
教師は常に生徒から教わり、
生徒は常に教師に教える。
この関係を築いていなければ、「学びの場」にならない。
一方的に教師が授業を進めているか、
一人で自習しているの同じ感じ。
教師は、指導中に、生徒の理解ができているか問いかけ、
生徒は自分が理解できていることを教師に伝える。
この関係。
この関係が「学びの場」
教師:「これ、わかるか?」
生徒:「難しいです。」
教師は別の指導方法を考え、試行錯誤する。
生徒は理解できないないまま進まず、別の解き方で試行錯誤する。
これが「学びの場」
最初に戻ろう。
最近の子供たち。
スクールでは、基本的に、何も話さない。
インストラクターの人が問いかけても、「うん」くらい。
とにかく静か。
まあ、その場での「はじめましての人たちの集まり」なので、
仕方がないかもしれないが、元気と言うか、覇気がない。
友達同士では賑やかなのだろう。
でも、見ず知らずの人や目上の人に対して、あまりにも静か。
恐らく、そういう時代環境なのかと思う。
「三丁目の夕日」の時代とは真逆。
声かけに反応すると、犯罪に巻き込まれる、という防衛策の影響が
強いのかもしれない。
要するに、生徒が教師に教えない。教えられない。
この状態で、学校やスクールで指導したとしても、
学びの場が成立しない。
そういう時代に生きて、育つ子供たち。
実は学びの場を知らない。
教師側とて同じ。
既にこんな状態で育ってきたのかもしれない。
最近の変わり者扱いをされている何とか世代とか呼ばれる
新卒採用者のような人が教える立場になる。
決して、その世代を否定するわけではないが。
既に、その世代で、学びの場を知らないのかもしれない。
それを考えると、今の子供たち。
「学びの場を知らない子供たち」の子供たち
なのかもしれない。
ちなみに、今の時代の子供たち。
「戦争を知らない子供たち」の歌を知らない子供たちの子供たち、である。
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スケ丸と共に、スケボーに楽しむ自分。
ターンして戻った瞬間、ではなく、
オーリー(ジャンプ)する瞬間の手前、でもなく、
いかにも上手く乗ってますという状態にして
止まって撮ってもらいました(笑)。
プロフ画像はしばらくこれを使います。