アロマライフスタイリスト安芸 幸恵です。
おはようございます(^^)
母が送ってくれる荷物の中には、本来送ってくれる荷物以外の
ちょっとしたお楽しみがあるんです。
それが、このザ・淀川。
大阪市淀川区の今と昔と未来を結ぶコミュニティ新聞です。
毎月発行されているんですが、昔と変わらないペラペラ加減も
懐かしくて気に行っています。
そこに、豊臣秀吉のエピソードが書かれていたので、
へぇ~~~~、知らんかった~~~ことをシェアします。
一部抜粋させていただきますね。
大村由己(おおむらゆうこ)に執筆命令、
作り話で粉飾した「秀吉事記」
天正11年(1586)関白・大成太政大臣になり、
ほぼ天下を統一した秀吉は、自慢の大阪城に
天満宮連歌処の学者大村由己をよびつけ、
俺の一代記を書けと命じます。
誰でも偉くなると自分の半生、とくに幼少時代の苦労話を
誇張して話したがるものです。
機嫌のいいときに吹きまくる秀吉のホラや作り話を
そこは学者の由己は史実や古典の知識をふんだんに
まぶして粉飾し、「秀吉事記」と題したレポートを献上した。
その面白いこと。
痛快なこと。
大喜びの秀吉は、
「憂い奴じゃ。望みの褒美をとらせよう。
なんなりと申すがよいぞ」と大見得をきります。
平伏した由己は、
「なにもいりませぬ。
ただそれがしは天満宮に奉仕しておりますので、
気軽に参詣できるように川に橋をかけてくだされ」
と答えます。
なんじゃ、そんなことかと架けてやったのが、
文禄3年(1594)誕生した『天神橋』です。
道頓堀を作った道頓さん、心斎橋を作った心斎さん、
淀屋橋を作った淀屋さんは知ってたんですけど~~~。
その後、俗説・巷説までとりまぜて味付けして大衆化。
わたしたちの知っている豊臣秀吉像の大半はでたらめらしい。
秀吉は天文6年(1537)2月6日、尾張国中村(現・名古屋市中村区)
に生まれました。
1月1日生まれだとか、母が太陽が口に飛びこむ夢を見て
懐妊したとかの話は、すべてでたらめで、
幼名の「日吉丸」も作り話なんですって~~~。
知らんかった~。
どないやね~ん。

