歌舞伎座「猿若祭二月大歌舞伎」昼の部に行って参りました | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

今朝の横浜の空、早朝にはそこかしこに漂っていた雲が8時前にはすっかり払われて、ほぼ完璧な青空です。3月下旬並みの暖かい1日になるそうです。これから外に走りに行きたいと思っています。

さて昨日は午前早くから出かけてJRで歌舞伎座に向かいました。「猿若祭二月大歌舞伎」昼の部の観劇です。12年前に亡くなった十八世中村勘三郎の十三回忌追善興行、故人を忍ぶ演目が並びました。

最初は「新版歌祭文(しんばんうたざいもん)野崎村」、3番目の息子として勘三郎に可愛がられた弟子の鶴松がお光を演じました。

二枚目の久松(七之助)と恋仲の油屋の娘お染(児太郎)に対するお光の嫉妬心と素直な反応は、恋する田舎娘の純朴さを醸し出します。お光は、久松とお袖が死を決意していると覚って、久松への恋心を抑え、2人を大坂へ送り出すのでした。勘三郎が23歳で演じたお光を、弟子の28歳鶴松が熱演いたしました。

続く「釣女」は狂言の「釣針」を素材に素浄瑠璃として、河竹黙阿弥の作詞で上演されたものが歌舞伎の作品となった、いわゆる「松羽目物」。大名(萬太郎)とこれに仕える太郎冠者(獅童)が妻を持とうと、釣竿を用いて大名は美女(新悟)、太郎冠者は醜女(芝翫)を釣り上げるという屈託のない舞踊劇。滅多に女方をやらない芝翫の醜女と、獅童の太郎冠者の滑稽なやり取りに大笑いしました。

最後の演目は「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」。享保年間、江戸吉原で「吉原百人斬り」と伝えられた実際の事件を基に、講釈から脚色された世話狂言。父親の17世の当たり役佐野次郎左衛門を、19年前の自らの襲名披露公演で十八世勘三郎が演じました。今回の追善興行では長男の勘九郎が初役で演じ、相手役の兵庫屋八ツ橋、これも初役で次男の七之助が演じました。

序幕では初めて吉原にやって来た次郎左衛門が、花魁道中に遭遇、八ツ橋の美貌に心奪われ呆然とします。二幕目では半年後、江戸に来るたびに足繁く通い、上客となる次郎左衛門。一方で八ツ橋にたびたび金の無心に来る無頼漢の釣鐘権八(松緑)と間夫の繁山栄之氶(仁左衛門)の登場で物語は悲劇の道を辿ります。三幕目では権八に唆された栄之氶が八ツ橋に次郎左衛門からの身請け話を問い質すシーン。今晩の座敷で次郎左衛門に愛想尽かしをしたならば疑いを晴らすと告げられた八ツ橋が困惑して泣き伏してしまいます。続く「兵庫屋八ツ橋部屋縁切りの場」が最大の見所。間夫への心中立てのため、次郎左衛門への”愛想尽かし”をする八ツ橋の苦悩が描かれます。一方、思いもかけない八ツ橋の冷たい仕打ちに「花魁、そりゃあんまりそでなかろうぜ」と始まる次郎左衛門の名台詞。大詰めでは、恨みを抱いた次郎左衛門が、妖刀籠釣瓶で八ツ橋を一太刀に斬り下げ、刀身を見詰める鬼気迫る様子で幕切れ。世話狂言の名作を堪能いたしました。

最後になりますが、今月の歌舞伎座に飾られた計4枚のポスター。この写真の撮影者が1月4日に永眠した写真家の篠山紀信。なんと昨年の12月21日に故人が撮影したもの。大写真家の最後のお仕事だったと、勘九郎がテレビで明かしてくれました。