桐島聡名乗る男の死亡に想い出す、我が真逆の青春時代 | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

今朝の横浜の空、どんよりとした雨雲に覆われています。空気は昨日の夕刻から一気に冷え込んで参りました。

さて昨日は都内の事業所へコンサルとして訪問、午後4時まで勤務して真っ直ぐに帰宅しました。水曜金曜がNPOの帰りにジムでランニングをすることが多いので、木曜はたいてい走りません。帰宅後は試験が終わったばかりで在宅の長女と豚肉のすき焼きを食べました。普通は牛肉ですが、ブタスキも美味しいです。

ところで50年前の連続企業爆破事件で指名手配中の桐島聡を名乗る男が現れ、先月29日に病院で死亡しました。分厚い黒縁メガネで微笑んでいる二十歳の頃の手配写真、全国いたるところで誰もが目にしたことでしょう。本名で死にたかったと言ったとか、どこまで自分勝手な野郎かと呆れてしまいましたが、おそらく本人で間違いないのでしょう。最近70歳の大台に乗ったばかりの男、私と同学年です。50年前の自分の学生時代を思い起こしました。学問に遊びに恋愛に、眩しすぎるくらいの青春を謳歌した自分の学生時代。同じ時代に暗いアパートの1室で爆弾作りに勤しんでいた桐島聡、本当に真逆の青春。

同世代のアイドルにキャンディーズがいます。「春一番」が大ヒットしておりました。センターの伊藤蘭ちゃんは私より1学年下。今や大女優で最近は歌手としても復活した蘭ちゃん、昨年のNHK紅白に出場した際はジジイの親衛隊が熱狂していましたね。娘の趣里ちゃんは毎朝NHK「ブギウギ」で大活躍。本日は愛助さんが亡くなるという悲しい場面、女児の出産とほぼ同時というのは実際とはちょっと違うようですが、まあ実話に近いようです。

全盛時のキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して引退宣言した1977年の夏、私は2歳下の女性と最初の結婚をしました。2年後に長男誕生。私が幸せの絶頂期にいたあの時代、桐島聡は逃亡生活に浸っていたのでした。

14年後の1991年の夏、7歳下の妻と再婚、妻は病気を克服して98年に長女を出産しました。今は泉下の妻に見守られて、70歳になったばかりの老人は25歳の長女と幸せな日々を送っているのでした。