7月6日は入籍記念日、でした | 妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

妻を亡くした夫と母親を亡くした娘の生活

2016年9月病院で愛妻が亡くなりました
夫は翌年大学生になった娘と愛犬2匹と暮らしていました
2022年11月二女が動物病院で亡くなりました
2024年1月に三女が後を追うように亡くなりました
大学生の娘と二人家族になりました

前に何度か書きましたが、前妻との家庭が破綻した(と私が思い込んでいたのですが)状態で妻と出会い、妻を愛し結婚を望みました。29年前の夏でした。前妻と長男には十分な生活の保障を約束して円満に別れて貰いましたが、結果的に妻を2年間待たせてしまいました。妻は初婚でしたので、結婚式の式場やドレスなどに相当なこだわりがありました。結婚式までには数ヶ月の準備期間や親戚、友人、知人への周知期間も必要でした。

1年3ヶ月の同棲期間中、横浜の妻の実家とは事実上縁戚関係にありましたので、離婚届を出したその足で婚姻届を出しました。

27年前の7月6日でした。妻は結婚式を挙げた10月5日を「結婚記念日」、7月6日を「入籍記念日」と使い分けていました。

27年前の今日、区役所に届けを出した後、2人だけで富士浅間神社に向かいました。神前の挙式を、祝詞を挙げていただきました。

それにしてもスマホのお陰で当時のカレンダーをいつでも呼び出せるのは本当に便利です。1991年の7月6日も10月5日も、いづれも土曜日であることを確認致しました。妻と違って私生活の手帳を付ける習慣のなかった私は、日付を正しく記憶したつもりで勘違いしていたなんてこともしばしばです。しかし、ちゃんと休日に行事をこなしていたのでした。

銀婚式を10月5日を基準に考えていた私は、2年前のこの日を何もすることもなく過ごし、翌週の7月14日に突然高熱を発し緊急入院した妻を、一度も自宅に戻すことも出来ずに、9月2日に失ったのでした。