次いつ撮影に行けるのか分からないのですが、一応次のターゲットのためにイプシロン180EDの光軸調整を実施しました。次に撮影したいターゲットはM42です。

最近僕は、自分の天体写真で皆をびっくりさせたいとかいう気持ちは少なくなってきました。
例えば画像復元やアンシャープ処理で自分が撮った天体を少しでもスゴく見せようと背伸びする演出などは意識して避ける傾向にあります。

そういう粉飾的な演出は、後から自分が振り返って恥ずかしかったりすることがほとんどです。
出来るだけ、そういうつまらない人間のひとときの感情を処理の中に介在させたくないのです。

なので、僕の最近の画像処理は極めて機械的です。
けど、それは決して「適当」とか「お気楽」とか「スピード重視」ということではありません。
機械的なりに、すごく慎重になっています。
再現ある動作を繰り返すことを基本とし、たとえばトーンカーブみたいな人間の意志が介在しうるコマンドについては、それが後々どのような悪影響を及ぼしたのか等について執着したりする。
自分がいつどこでトーンカーブを使用したのか…そういう事をすごく覚えています。

他の一例をあげますと、その対象の何フレーム目を撮影した際の高度(天の極方向-地平線の角度)をトレースしたりします。結局、精度の良いフラット処理の後に実施すべきは、残存する低空カブリ等なのでそこを1フレームずつ思案したりします。こういう部分に物凄く時間を費やします。

別に人をスゴいと唸らせようと考えなくてもいい。
超妥当で再現性の高い処理を厳選して、一手一手を慎重に進めれば、どんな画像復元やシャープネスで粉飾された画像よりもピュアで美しいのだと信じています。

怠慢で適当なお気楽処理をした画像はやっぱりつまらない画像に過ぎないのですが、客観主義に徹した処理が生み出す天体画像というのは、作者をも鑑賞者とさせてしまうぐらい自然の美がにじみ出てくるようです。

あれ、前にも似たようなことを言ったような気がします。翻訳者だって。
自分がどうのこうの、じゃないんですよね。
自然の美しさを、出来る限り純度たかく再現するために、人は意思を持たない翻訳者に徹しなきゃいけないんです。オレイズムとか○○調とか…僕的にはそんなちっぽけな自己主張、別にもうイイじゃんって思います。