父親と仕事をしていると、
無意味な几帳面さにイラっとくることがある。

それがあるので、なるべく仕事を一緒にしないようにしているのだが、
父親が作っている花の収穫量、出荷量が多い時は手伝っていて、
そのときにどうしてもイラっときてしまう。

そもそも父親は自分と違って、仕事は大雑把。
花の扱いも雑、仕事場もすぐに汚すし、
軽トラもゴミだらけだし、使ったものはそのまま放置。
それなのに、なぜか無意味な几帳面さを発揮するからイラっとくる。


出荷するダンボールに、出荷先の市場が印字されたシールを貼るのだが、
糊が付いた面の紙ペラをはがしてシールをダンボールに貼っていて、
その不要になった紙ペラは、そのペラペラの状態で重ねて捨てるのが
手間もかからず、最小の体積で捨てられる。
それをなぜか父親は、紙ペラ1枚1枚をグチャッと手で丸めるという
無駄なパワーを使って無駄な作業をして、
わざわざ体積を増やしてからゴミ箱に捨てるという、
近くで見ていて「何のため?」と思ってしまう。


また出荷するダンボールは、花を詰めてから、出荷先の市場ごとに縦に積んで、
それを農協の集荷場の場所を考慮して、市場ごとに梱包して軽トラに積む。
仕事場では市場A、市場B、市場C、市場Dと並べていても、
梱包して軽トラに積む順番は市場B、市場Cと、並んでいる順番とは異なって、
間の山から引き抜いて梱包することになる。
そのため、それぞれの山の左右にほんの少しだけ隙間を作っておくと、
引き出す際に楽に引き出せるので、自分はそうやっているのだが、
なぜか父親は、隙間をゼロにして、ギチギチにダンボールを詰めて山を作る。
他の作業は雑なのに、ダンボールの山は隙間なくきっちり積もうとして、
それを見ていると「なぜそこだけ几帳面?」と意味が分からない。

最後に梱包して軽トラに積むのは自分なので、
そのギチギチに詰めた山から、苦労しながらダンボールを引き抜くことになる。


自分よりも40年も前からこの仕事をしていて、
そこを几帳面にやっても意味がないと分からないのが不思議でしょうがない。