とんでもない選手たちの集まりの中に更にとんでもない選手が何人かいて甲子園で優勝できる。桑田清原たちのPL。


そこそこの選手の中にとんでもない選手が何人かいて甲子園に行ける。


そこそこの選手の中にとんでもない選手がひとりいると甲子園に行けるかもしれないけど甲子園では勝てない。江川の作新学院。


そこそこの選手の中にとんでもない選手がひとりいて、その選手が試合に出ない、あるいは出られないと、甲子園に行けない?


そこに挑戦したのが今回の大船渡高校。


とんでもないあいつに引っ張って連れて行ってもらった甲子園ではなく、みんなで掴んだ甲子園。その中の一つの車輪としてのとんでもないあいつ。


高校野球のもう一つの理想の形を新しく示したような気がする。
何がなんでも甲子園!ではなくね。


高校で燃え尽きてもいい。だから壊れてもいいから投げるとはよく言う。
しかしそうじゃなくても夏の予選で負けたらその時には燃え尽きた状態になります。


それなりに練習してそれなりにやってきたつもりでもあっけなく初戦7回コールド負け。
そんなチームの選手でも燃え尽きてます。
甲子園も見れなかったし、数ヶ月は何もやる気が起きなかった。


その間は日焼けで真っ黒な顔は真っ暗でもあった。


『あしたのジョー』じゃないけれど、「燃え尽きた。真っ白な灰に。」
その感じがよくわかったものだった。1972年の夏。