どうしたら幸せになれるのか…と考える人はたくさんいますが、どうしたら自分が不幸になれるのかと、本気で考える人はいません(笑)
でも、これが難しい(苦笑)
実は不幸になることって意外と難しいのです。
では、何もしないことを考えてみましょう…
何もしなければ変化はありません。
でも、変化しないことが不幸かといえば、そうでもありません。
たとえば、好きで好きで、どうしようもない人がいるとします。
告白してフラれれば、まあそれも一つの不幸でしょう…
でも、告白すればうまくいく可能性もあるわけです。
つまり、その確率は50%ですね…
では、何もしない、告白しない場合はどうでしょうか?
告白しないわけですから、まずフラれるということはありません。
可能性は0%です。
ということは、告白してフラれるよりは、告白せずに、そのままやり過ごしたほうが自分も傷つかないし、そのほうが楽でいられることは確かです。
となると、何もしないことが、それこそ不幸かといえばそうではないとも言えます。
ということは、何か行動を起こし、その結果が自分の思うところとは違った結果、またはまったく逆の結果を招いてしまうことが不幸だとも考えられます。
でもでも、です(笑)
たとえば、野球というスポーツ、まあ興味があるないは別として、バッターの打率はよくてだいたい3割です。
つまり、10回打席が回ってきて、3回しかヒットが打てないわけです。
残りの7回はすべて失敗です。
でも、誰しも〝ここでヒットを打ちたい〟と考えて打席に立つはずなのです。
鼻っから、〝俺はこの打席はヒットなんて打てないな…〟と考えている人はいないはずです。
でも、10回のうち、約7回は失敗に終わります。
しかし、世間の見方というのは、7回の失敗よりも、3回のヒットを重視するわけです。
だからこそ、3割を打てるバッターは一流打者として崇められるのです。
10回のうち7回も失敗しているのに一流と呼ばれるのですから、普通に考えれば矛盾していますよね(苦笑)
失敗ですから不幸そのものです。
でも、成功した、ヒットを打った3回に目を向けると、それは幸運になります。
つまり、どんなものにも幸と不幸は表裏一体、裏と表なのではないでしょうか…
私たちは、しばしば、いやほとんどの場面で失敗や挫折を味わっています。
でも、その裏には必ず幸運の鍵が潜んでいるということが、最近になってようやく分かってきたような気がします…