このほど、内閣府は11日、若者の結婚や家族間に関する調査を発表しました。
それによると、20、30歳代の未婚男女の86%が結婚を望んでいるにもかかわらず、64%が交際相手がいないと回答したそうです。(詳細はこちら)
ようするに、未婚化が進んでいるということですが、その中で個人的に興味が引いたのは、その未婚者が結婚しない理由の第一位が「適当な相手に巡り会わないから」という回答です。
実に56%も占めていたそうです。
私は、結婚する相手というのは、もっと崇高なイメージを抱いているものと思っていたのですが、今では、それこそ〝適当な相手〟なのでしょうか。
〝適当〟という言葉の意味を調べてみると、
1、ある条件、目的、要求などにうまくあてはまること。かなっていること。
2、程度などがほどよいこと。
3、やり方などがいい加減であること。
となっています。
まあ、まさか、3のいい加減ということはないでしょうが(笑)、それでも、もはや結婚とはそれほどまでに人生における重要度も低くなってしまったのでしょうか。
だとすると、今の婚活と呼ばれるものも、何だか虚しくなってきますよね。
というよりも、〝適当な相手探し〟なのかもしれません。
私は、結婚とは、この地球上で、たった二人だけがなることのできる、最も親密で、最も充実し、最も満ち足りた、素晴らしい関係だと思っていました。
というより、今も思っています。
確かに、私は離婚しています。
しかし、それでも、やはり結婚というものは、あくまで他人と他人が一生を共にすると、共に生きると誓うことでもあります。
同じ誓うのであれば、生活を共にするのであれば、そりゃ楽しいほうが幸せでしょうし、お互いがいがみ合い、憎しみあっているよりも、ずっとずっと、何百倍も幸せなはずです。
仮に、〝適当〟の意味が1のある条件、目的、要求などにうまくあてはまることだとしましょう。
でも、その条件とは何でしょうか?
年収でしょうか?
勤め先でしょうか?
学歴でしょうか?
料理が出来ることでしょうか?
そもそも、相手がいないということは、自分が〝いいな〟と思うタイプに出会えていないことです。
しかし、出会う前から好きな相手の条件を確定させてしまうと、それに囚われすぎてしまい、それ以外の相手はすべて除外されてしまいます。
人間の視野というものは、だいたい水平で200度くらいなものです。
しかし、物事に集中しているときの視野の角度は46度といわれています。
つまり、集中しているときは、その左右、77度ずつは、目に入りません。
相手を条件付けするというものも、これと同じことと言えるんではないでしょうか。
条件付けが集中している状態で、その以外のものは目に入らないということ、つまり、条件付けすることによって、本来は見えるものも、自分で視野を狭めているということです。
これでは、恋人ができるものもできませんよね。
まずは、条件を外す、すると視野は大きく広がります。
可能性は大きく広がるんです。
もし、皆さんの心の中にも、そんな条件付けがあるんであれば、ちょっとそれを外してみましょう。
すべてとは言いませんが、ちょっと外すだけでも見え方というものは違ってきます。
すると、出会いは確実に増えます!