夫婦喧嘩から学んだこと | 鳥のように自由に生きよう

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私は昔から理屈っぽいところがある。妻には「ただ受け取ってほしいだけなのに」と言われることが多い。

 

私は妻に何か少しでも指摘されると、責められているように感じて守りに入る癖がある。自分を守るために、言い訳や理屈をこねるし、相手のせいにすることもある。

妻は私が受け取るまで感情をぶつけてくる。それに対して私も感情的になり喧嘩がエスカレートしていく。その挙句に妻が家出することもしばしばあった。

そこまでの状況になってはじめて、私の言動を振り返り反省する。「妻がそこまでして私に受け取ってほしかったことは何だったのだろうか」と。

 

妻は日頃から心(魂)の繋がりを大切にし、「心で繋がれないなら一緒にいる意味がない」と言っていたことを思い出し、「そうだ、妻が私に求めているのは心の繋がりであり、受け取ってほしいことは妻の心(気持ち)だったんだ」と悟らされた。

 

何度も夫婦喧嘩を繰り返し、妻の気持ちを受け止めること(共感すること)の大切さを学んだ。それと同時に、私の正直な気持ちを伝える大切さも感じている。一方が我慢して、相手の気持ちだけを優先するというのでも上手くいかない。双方の気持ちをお互いが受け取りあった上でこそ、心から謝りたいと思えるし、私の気持ちを受け取ってくれた妻に心から感謝の思いが湧いてくる。

 

以前は喧嘩は良くないという思い込みがあり、私の思いを伝えずに我慢した時もあったが、今では喧嘩がお互いの心の繋がりを深める機会となり、以前よりも絆が深まったと感じている。

 

最近は、妻との喧嘩を俯瞰的に捉えられるようになり、妻(直観的右脳)と私(理屈っぽい左脳)のやりとりが、私の心の中で起こっていることなのではないかと感じるようになった。つまり、私の心が統合されていけば、妻と私も統合されていく。妻は私の一部であり、そんな妻と新しいものを創り出していくことが楽しみでならない。