ことあるごとに
明治生まれの祖父が言った言葉がよぎる

たまに断食すると
贅沢に慣れてしまった自分に嫌気がさす

人間は生涯に一度は飢餓を体験する必要があると
私は考えるようになった。

何回も飢える必要はないが
すべての人が飢えを体験すべきだ

「戦前〜戦後の食料難の時代に育ち
学校では弁当を持ってこれない外地引き揚げの
級友たちが、昼食の時間には外に出て膝を抱いて
空を眺めていた姿が脳裏に焼きついて離れない」

その言葉は今もずっと私の記憶に
引き継がれて離れない

百万回の説教より1回の体験である。

食の大切さは理屈ではなく
体で覚えさせる以外の方法はない。

いま食料自給率1%低下を話題にして耳を傾けてくれる人がどれくらいいるだろうか。

農村ではどうか?都市ではどうか? 

1%低下の原因が北海道の不作だとする
農水省の発表が本当ならすぐに戻るのだろうが
それにしても2025年の45%目標には程遠い。 

食料自給率38%という数値は1993年の
あの「平成の大凶作」と同じだが
今回は1%低下が社会にも家庭にも
何の影響も不安も与えていないようで
たまにTVやメディアを見れば
相も変わらず世の中はやれ野球だサッカーだアニメだとはしゃぎまわり浮かれているように見えてしまう

それが幸せというのならまことに平和で幸せな時代ではある。

食料や農業の現状には誰も興味も関心も示さない。
暗くマイナーな世界から目をそむけ
明るく楽しく面白い方だけを向いてガス抜き装置に熱狂している姿を見ると
日本人もずいぶん変わってしまったんだな
という感慨の一方で不安でもある。

そんな時代風潮の中で「食料自給率」を考える参考に少し古いデータを引用したい。

「私たちの住むこの国は世界226の国や地域から年間5800万tもの食料を輸入し、その38%に当たる2154万tを廃棄している『飽食』の国である。
そのうち家庭から出る食品廃棄物は1189万tで過半を占め、これは国民1人当たり年間100kgになる。
再利用は22%で残りは輸入した石油を使って焼却されている」(輸入は2001年、廃棄は翌年の実績)。

では、現在はどうなっているのだろうか。
食料自給率が一定であるということは基本的には当時も今も変わっていないということである。
日本の耕地面積が約450万haなのに、その2・4倍の1080万㌶もの海外の農地に依存している。
しかも世界の人口は2000年の61億人から2050年には96億人に増え、それに伴って食料需要は45億tから70億tに増えると予想されている。

仮に不測の事態はないと仮定しても日本だけが永遠に飽食の時代を続けるわけにはいかない。
だから食料自給率を高めなければならないのである。

農水省はその必要性をPRし意識改革を促してきたしいろいろな仕掛もつづけてはいるが「糠に釘」
「馬の耳に念仏」で食料自給率を向上させるまでには至っていない。

むしろグローバルの時代に国の食料自給率などは
無意味で、それより世界の平和と自由貿易体制を守ることの方が大事だとする声が強まり
農畜産物の輸出が奨励されている。

輸出をすることは輸入も拒否しないということだから国内自給率は意味を失う。

この方向ではいずれ日本人は「農なき国の食なき民」になるだろう。

経済が破綻すれば即飢餓だ。

あと10年
やるしかないな