以前
地元羽曳野市で開催した寺子屋にて
特別講師の小名木氏をお招きした際
お聞きした事をお伝えします。

江戸時代の篤農家は
新米など食べていませんでした

取れた米は米蔵に籾貯蔵し
新米の収穫が終わると
貯蔵してあった熟成米を食べるのです

これは味だけの問題ではなく
命の種もみを貯蔵する意味もこめられています

現在でも東北の知り合いの農家さんは
このようにして、米を貯蔵し冷害や虫害に
備えておられます

一年に一回しか取れない稲作で
収穫が皆無になると
経済的に立ち直るのに
3年以上かかると言われます

昔ならば
山の木の根っこや草まで食べ
飢えをしのがなければなりません

今や米はどこでも買えますが
江戸時代の農書を読むと
冷害や虫害で起こる飢饉の怖さが
ひしひしと伝わってきます

もし
この瞬間

かの国が南シナ海、台湾海峡、東シナ海を通る海路のシーレーンを武力封鎖したならば、、

食料自給率38%(カロリーベース)の
この国は
たちまち令和大飢饉に陥ります

『未来のために一旦貯蔵し古いものから食べていく』

農家の端くれとして
この考え方を今後も大切にしてまいります

画像は
明治期に米俵(60kg)を5俵
およそ300kgを担ぐ日本女性