1845年
イギリスは産業革命により
『世界の工場』となりました。

資本家による工業国家が出現した事により
地主や農民を守る『穀物法』が撤廃されます

国民は総出で工場🏭に働きに行き
農産物は貿易で得た外資で買うことが
当たり前になった訳です

次第に農業はおろそかになり
当時、国の食糧自給率は25%にまで下がったのです。


その後の第一次、第二次世界大戦で
島国イギリスはドイツの駆逐艦やUボートに
輸送船が撃沈され全国民が深刻な飢餓体験を
する事になりました

そこで1947年農業保護を規定した
『農業法』を制定し
その後1972年にはEUに加盟
EUの手厚い農業政策のもと自給率回復を図ります


1947年に農業保護に転じたのは
100年間続いた大英帝国の栄光と
『世界の工場』からの転落を意味します。

しかし
一度25%まで落ち込んだ食糧自給率は
相当の回復政策と保護をしても現在
63%止まりです。


我が国日本は1961年に
『農業基本法』が制定され
それまでの複合経営の農業を単作、合理化
機械化の経済主義農業に切り替えました。

これは日本が
『世界の工場』に突入したことを意味します。


田舎の若者は鍬や鎌を捨て
集団就職により都会へ働きに出ます


その子供達も都会の大学に行き
サラリーマンやOLとなり
バブルの栄華を謳歌しました。

そして今日
貿易収支は加工貿易の収入より
投資収入が多くなりました。

これは『世界の工場』の地位が
70年の時を経て、中国に明け渡した事を意味します。


現在我が国の農業従事者は360万人
そのうち200万人が65歳以上です。


そろそろ亡国農政を改めなければ
この国の農業は自然消滅してしまうでしょう