中学生の時にサッカーをやっていた。
学校の部活動では無く、地域のクラブチームに所属していた。
雰囲気は部活動とまるで違い、結果のみを求められた。
良く、「ガンバらなくていいから、結果を出せ」「タバコ吸ってもいいから結果を出せ」なんて事をしばしば言われた。
高校生になり、今度は部活動に入った。
まるで逆の事を言われた。
「お前は生意気だから試合に出さない」
「お前が練習メニューに意見を言うな」
練習への姿勢や口答えをしない部員が試合に出れた。

ビジネスマンになり、中学生の時の教えが棲みつき、頑張ると言う言葉が、今でもあまり好きでは無い。
何故なら、皆んな頑張ってるじゃん。て思ってしまうからだ。
そんな根性論を唱えて意味があるの?と、斜に構えている自分もチラホラ顔をだす時期があった。


今になって思う事。
中学生の時、高校生の時、どちらも激しく間違っているが、合っている部分もある。
何か難題をやろうとした時に、結果も大事だし、頑張りも必要だ。
前提にあるのは根性だと思う。
根性が無ければ、結果も出せないし、頑張る為の努力も出来ない。
根性や意地といったメンタルな部分が最後は物事の左右を分けると思う。


どんなに立派な理屈があり、理論武装したって根性のない奴はやりきることが
出来ない。
お願いをする時の姿勢を相手は見ている。
こっちが必死なら伝わる。
熱意は伝わるのだ。
相手も人間だし、こっちも人間なんだから。