本を読むことについて、私の考えをアウトプットしたい!がテーマの記事です。

子育て関係ないような、巡り巡ってあるような



自分語りだけど自分のスペース(ブログ)だからいいかなキメてる




私が本を読むのはただ面白いから、が8割くらいなんです。


ミステリーなら没頭して誰が犯人だ!なんだなんだ!とハラハラしながら読むし、恋愛ものなら過去の恋愛を思い出したりいいな〜と羨ましがったり。

こんなこと考える人がいるのか、こんな世界があるのか、と単純に面白いんですよね。





なんです、が、本を読む先に欲しいものもあります。




最近読んだ「燕は戻ってこない」の文中に、出産予定日を伝えるシーンがあって。

“九月九日と言われています”

“おお、重陽の節句じゃないか。『雨月物語』だな”

この後に雨月物語についての説明がはじまるんです。



本を読んでいるとこういうシーンだったり、作中には書かれていないけどみんな知っているのが前提でオマージュされていることって多いと思うんです。



例えば有名なところだと村上春樹の『海辺のカフカ』は『オイディプス王』の要素が含まれていますよね。

でも学生の頃読んだ時には気づけなかったんです。知識が足りなくて。


今でもそういうことがたくさんあって、通り過ぎているところがたくさんあるんだと思うと、もっと深く、重なり合った教養が欲しいと思うんです。



“九月九日”と聞いた時に、私は重陽の節句、雨月物語まで出てこない。

でもこれはもう少しきちんと教養がある人なら出てくるレベルだと思うんです。




もっと深めていけば世界の見え方は絶対に変わってくるはず。


いくらコンピュータが進化したって、私自身が自分で教養身につけていかないと視座は上がらないし見える世界は変わらないんですよね。


どんなに検索技術が向上したって、私が自分で獲得しなければ会話の中で(例えば)「源氏物語の空蝉ですね」と適切な状況で言うことはできない。



山の上から見る景色と中腹から見る景色は同じものを見ていても見え方も見える範囲も全然違う、みたいなイメージというのか。


私のいる場所からは知識や教養のある人たちから見える世界は見えないんです。




だからこそ本を読みたいなと。

でもダイレクトに「10分で論点だけ読む」みたいな本から知識を獲得したいわけじゃなくて。


まわり道でも、いろんな本を読んで横に広げて、そこから深くしていきたい。

もちろん読書は面白いからする、が1番にあるけれど、知識と教養があればもっと面白がれると思うんです。


ここ数年、古典や名作も意識的に読んでいます。

が、イージーリーディングに慣れているので若い頃のように我慢強く読めない…今の私に(大学生の頃に苦労して読んだ)カラマーゾフは読みきれない。

でも私の人生、ここから自由時間も増えるだろうからなんとかなるかな。



知識や教養を得て、仕事に生かそうとかそう言ったわけではないんです。なんせ働いていないし。


生きて、時間を重ねて、自分の中にきちんと蓄積されるものがあったら素敵かなと。



昔、父親に「大学まで入れてそれか」と苦笑いされたことがあるけれど(代理店で女子大生向けの広告やキャスティングをやっていたからミーハーな仕事ばかりで政治学専攻が活かされなかった)、「学問は教養を深めるためのものだよ」と返したら「この世は資本主義だよ」と言われたことがあったな。そういえば凝視



でも今も昔も変わらず、私は教養の深さは自分を誇り高くするものだと思う。

お金に換算できるか否かは何の関係もないんじゃないかと。



なんだか上手くまとめられないけど、書きながら「これって齋藤孝さんが言っていた話じゃん」となりした爆笑

久しぶりに読み返そうと思います〜!

この本は自分が本を読むモチベーションにもなるし、子どもに読書を勧めたい理由の全てが言語化されていますびっくりマーク




ということで、今日ものんびり読書を楽しもうと思います花