イエスキリストの地上での最後の1週間。


エルサレムへの勝利の入城と、主の十字架へのはりつけと復活。


神の計画により、主の贖いの犠牲を通して、主の地上の務めは終わりを迎え、私たちは天の御父とともに暮らせるようになる。

これらの出来事は、救いと昇栄の祝福を全ての神の子供たちに与える為に神が定めた。


「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。


主は現世が困難な場所であることを知っておられる。

主は私たちが苦しむ時に助け、「主の道に踏みとどまる」手本を示してくださり、「神が共におられる」ことを思い出させてくれる。

神が「あなたと共にいる」という約束は、自分の信仰を保ち、主を信頼する人々への約束。 

 

「聖霊によらなければ、誰もイエスが主である」とは言えない。


最後の晩餐で「私はあなたがたを捨てて孤児とはしない」と約束された。


「私は平安をあなたがたに与える。私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。」

聖霊の賜物があれば、「いつも御子の御霊を受け」、「聖霊の力によって、全てのことの真理を知る」ことができる。


真の弟子の特徴は、変わることのない献身、永遠の律法への従順、そして何より神への愛。


しゅろの日曜日に続く主の最期の日々に、主は驚くべき贖罪を成し遂げられる。

ゲツセマネで苦しまれた後、無実の罪で裁かれ、十字架上で苦痛を受け、借り物の墓に埋葬されるが、3日後に、天の御父の全ての子供たちの贖い主として、御自分の予言された通り復活される。


天の御父の救いの計画の中心は、神の全ての子供に不死不滅を、また昇栄の祝福を受けるにふさわしい人々に、昇栄をもたらす、無限の贖罪です。


贖罪を行うという、主の責任は、創造や堕落の前から知られていた。

その目的は、全人類に復活と不死不滅をもたらすことだけでなく、主が定められた条件によって私たちの罪が赦される為でもあった。

したがって、主の贖罪は、私たちが主と、また家族と永遠に一つになれるようにする道を開いた。


復活は、肉体と霊が再び結合して、不死不滅の状態になること、肉体と霊が不可分のものとなること、そして肉体や死の弊害に束縛されなくなることの3つからなる。


主は、主を受け入れる備えのできた人々に、御自分が戻られるときのことについて教えた。

その人々は心に福音の光を携えていました。

進んで主の道を歩み、主の真理を受け入れ、主の光を分かち合おうとする自発的な意思について。


10人のおとめの例えについて。

私たちはあかりを持っているが、油はあるだろうか。

中には、この世の圧力に忙殺されて適切な備えができず、ほんの少しの油だけで何とか生きていこうとしている人がいるのでは?

油は予言や生ける預言者、その顧問、十二使徒の言葉を信じ、実践することでもたらされる。

聖霊に耳を傾け、聖霊を感じ、その天からの導きに従って行動するときに、心が油で満たされるのです。

私たちが主を愛し、主が大切にされているものを自分も大切にしていることを示すときに、私たちの心に油が注がれます。

また、悔い改め、イエスキリストの贖罪からもたらされる癒しを求める時に、油がもたらされるのです。


「イエスキリストの命の水という油をためる。」

命の水とは主の生涯と教えのこと。

これはイエスキリストが教えられた教義に従って生活することで可能です。


予言と預言者の教えを受け入れ、聖霊の促しに従って行動し、真の弟子となり、主の贖罪の癒しの力を求めよう。

そうすれば、私たちが行きたいところ、つまり天の御父の身元に帰ることができるでしょう。


by ロナルド・A・ラズバンド(リアホナ、2023年、5月号、総大会、108ページ)