慈愛は身体的、物質的、或いは情緒的な苦難を経験している人々の苦しみを和らげる惜しみない行為。

 しかし、慈愛は誰かに提供するだけに関連するのではなく、救い主の特質でもあり、わたしたちの人格にもなり得る。

「完全と平和の絆である慈愛の絆を身にまといなさい」

イエスはこの完全な平和の絆を持つことの意味、特に殉教に先立つ苦痛に満ちた出来事に直面したときに、完全な模範を示された。


 以下の気持ちについて考えてみる。 

・晩餐の時、弟子の一人から裏切られることを知りながら謙虚に弟子たちの足を洗われたイエスは何を感じておられたか。 

・裏切り者であるユダとともに御自分を捕らえる為に来た者たちのうちの一人の耳を優しく癒されたイエスは何を感じておられたか。 

・救い主がピラトの前に立って、祭司長たちや長老たちから不当に告発され、その偽りの嫌疑に対して一言も発せられず、ローマの総督を驚かせた時のイエスは何を感じておられたか。


 救い主は深い悲しみと重圧を抱えながら、模範を示された。 

「愛は寛容であり、愛は情深い。ねたむことをしない。高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みを抱かない。」 


 愛、慈愛、忍耐、謙虚、思いやり、さらに主に近づき、主の平安を広めたいと願う人々の特質。 

このような特質は神からの賜物であり、これらを伸ばそうと努めるときに、わたしたちはさらなる共感と感受性、敬意、寛容さをもって隣人の違いや弱さを見るようになる。 


 さらに救い主に近づいて、救い主になりつつある明らかなしるしのうちの一つは、どんな状況であっても、愛と忍耐と思いやりをもって同胞に接すること。  

他の人の特徴や弱さ、意見について否定的、軽蔑的になるのではなく、また、自分の行動や考え方と異なる場合や相反する場合でも、寛容をもって受けとめる。 


 「善を行い、神を愛し、神に仕えるように誘い、促すものはすべて、神の霊感を受けているのである。」 


 「あなたがたが裁く裁きで、自分も裁かれ、あなたがたが量るはかりで、自分も量り与えられるであろう。」 


 救い主のような特質を伸ばすように努めるとき、世界に平安をもたらす者になれます。

 人を高めて支える人、理解と赦しの心を持っている人、他の人の最良の点を探す人なれる方法を考える。 


 「どのようなことであっても、徳高いこと、好ましいこと、あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば、これらのことを尋ね求めるものである。」 

これらの特質を伸ばそうと努力するとき、わたしたちはよりいっそう親しい人たちの必要に対して、親身になり、敏感になり、喜びや平安、霊的な成長を経験するようになる。


 互いの違いや弱さ、不完全さに対してもっと寛容で忍耐強くなる。 

自分を傷つけた人に対して気分を害したり、怒らせたりする衝動をもっと抑えられるようになる。 

救い主がされたように自分を不当に扱う人や悪口を言う人を赦したいという気持ちが強まりまり、自分の人格となる。


 by ウリセス・ソアレス(リアホナ、2023年5月、総大会号、85ページ)


 慈愛も持って人と接すること、他者に寛容であること、そして忍耐強く接すること。

 自分との違いを認め、他者を受けとめる。 

イエスキリストは他者に対して本当に慈愛を持っていて、平和を愛し、優しさに溢れた方だと思いました。 

そして、人を愛するということは簡単なようで難しいけど、イエスキリストに少しでも、近づけるように努力することの大切さを感じました。