レイチェル・カーソンといえば

殺虫剤や農薬などの化学物質が環境破壊を起こし、回り回って人類に重大な影響を及ぼすと説いた『沈黙の春』という書籍が有名ですが、

彼女はもともと、海洋生物学者であり、さらに小説家でもありました。

 

沈黙の春と合わせて有名な『センス・オブ・ワンダー』という書籍はご存知でしょうか?

 

久しぶりに哲学と物理の観点から世界を学ぶ寺子屋に参加してまいりまして、、、デレデレ

(講師は、松葉舎主宰 物理学者の江本伸吾先生です)

 

この寺子屋は、いつも課題図書が与えられ、

講義では、内容をより深く読み解いていくのですが、

今回がこの『センス・オブ・ワンダー』という本でしたニヤニヤ

 

この本で描かれているのは、

レイチェルが、幼い甥っ子と毎年夏の数か月を人里離れた別荘で過ごし、

その周りの美しい海岸と森で出会った出来事のこと。

海岸や森を探索し、雨を吸い込んだ木々や土の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませる。。。

その情景とそれら自然にふれた幼い甥っ子の反応を、詩情豊かな筆致でつづっています。

 

センス・オブ・ワンダー

訳すと、探究心・好奇心の感覚、といったところでしょうか???デレデレ

 

この本、

1996年に上遠 恵子さんによって訳されたものと

2024年に森田真生さんによって翻訳されたものがあるのですが

タイトルは両方ともカタカナ表記の「センス・オブ・ワンダー」なんですねー。

 

本のタイトルをあえて日本語にしなかったのは

作者の、本当の、心からの想いを

決まりきった日本語で印象付けたくなかったからなのでしょうか?真顔

 

さて、

タイトルは両方ともカタカナ表記なのですが、

両者の翻訳本を読み進めてみると

実は、印象がガラッと異なりますポーン

 

上遠恵子さんの翻訳は

ものすごく大まかにいうと

「昆虫の種類や花の名前などを知らなくても

自然の中に出かけて、観察しているだけで

何かを感じ、気づくことがあるよ。感じること、それが大事。」

という感じ。

 

一方、森田真生さんの訳の印象は

「昆虫の種類や花の名前を知っているっていうのはまあ大事。

知っていることと、感じることって別ではなくて

経験は、知っていることと感じることを結びつけていく作業だよ」

というニュアンスで訳が進んでいく。

 

へええ!!!ポーンポーンポーン

同じ内容の本なのに、受け取る印象がこれほど異なるとは!!!

 

おそらく

原書(英文)を読んでいる江本先生曰く、

「原文ままだと、レイチェルは森田さんよりの想いを持って執筆されたのではないか」とのこと。

 

でもね、

「原文に忠実なのがいいことではないかもしれない」ともおっしゃった真顔

 

おお!!!

それはどういうことであろうか?真顔

 

先生から、読み解くアドバイスとして

「この二つの翻訳あることで、私たちの考える視点、自由度が広がった。

異なる言語、異なる文化、異なる時代で

原作者の全ての思想を代弁することは難しい。

翻訳本というのは、もう別の作品であり、原作者と翻訳者との共著であると思う。

読み手の我々もこの翻訳を手がかりにして

自分の価値を合わせていく作業をすることが大切。

それが読み解く、ということ」

 

おお!!!

なんと哲学チックな読み解きであろうかデレデレ

 

さらに物理学者である先生から

知ることと、感じることを結びつけるために

物理学的な『視点』についての解説も続きました。

 

どんなことでも物事を眺めるときに

どういう物差し、角度から判断するか?ニヤニヤ

 

『違いがわかるか?』

『何が同じか?』

『分けるのは何が基準?』

 

いろんなヒントをいただきましたデレデレ

 

 

物理って、

授業だけで使う難しい計算をする学問だと思っていましたが

この寺子屋に参加するたびに

日常生活の中でのふとした疑問を解決するための

いろんな考え方を導いてくれていると気づかせてくれますウインクラブラブ

 

はあ、

これが

「知っていること」と「感じること」

を結びつける作業なのかー。

知識が増えると、感じることの気付きも多いなー。

 

 

ところで、

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』

実はこれ、未完の書なんですニヤニヤ

でもね、

今年発売された森田真生さんの翻訳本には

執筆中に他界されたレイチェルの想いを引き継ぎ、

オマージュしながら書かれた

「つづき」が掲載されていますよちゅー

実は私もまだ読んでいないので、これから楽しみに拝読したいと思います!