Gallery Y's oneでは、現在 様々な作家さんの様々な作品を展示していますが、私たちは作品と同じ
くらい その作品を生み出す作家自身の人となりや思考に興味を持ちます。自分の好きな作品であ
ればあるほど、そんな作品を作ってしまう人物は一体どんなことを考え、何を良しとし生きているの
か、ともすれば作品を手にするこちらの価値観まで変えてしまう影響力。
現在展示中の作家さんの中から、今回は馬岡智子さんの「体の中にある器」についての言葉をご紹
介いたします。
「なるほど器の大きい人だ」「思ったほどの器の人ではなかった」とか「ヒトの器」は、その人
の度量や包容力を表すことに使われることが多いようです。
仕事柄かどうか定かではありませんが、いつの頃からかこれとは全く別の機能を持つ「器」
が私の中に存在しています。場所は胃のあたり、サイズは両手にすっぽりと納まるくらいの
ほっこりとした形、ちょうど抹茶碗のような器です。
空っぽで空気をはらんでいるだけの時もあれば、本を読んでいて気になるフレーズが次々
にでてきたりすると、その器がどんどんいっぱいになってきて満ちあふれることがあります。
気に入った音楽をくり返し聴いている時や、よく出来た番組を観ていてそうなることもありま
す。あまり期待せずに行った美術館で「なに~これ~!」と目からウロコの時などにもその
現象がよく起こります。
日常の暮らしの中で、自分の欠けているものを努力してなんとか埋めようとするのは大事な
ことかもしれませんが、自分の心に響くものをたっぷり体の中に満ちあふれさせて、それを
原動力に進んでいくという別のルートにどちらかというと惹かれます。
「器」をひとつ体の中にセットすると、何もない時より満ちあふれる瞬間を実にリアルに感じ
られる気がします。具体的にイメージしにくい方は、まずお気に入りの器を手に入れるか作
ってみて、身近に置いて愛用し、その後「器」をワープさせて体の中に移動させてみてはい
かがでしょう。
いつも「器」の中で満ちあふれた思いが、私の制作の源になっています。仕事でも人生でも
思い通りなんてまず無いですが、その「器」が機能して「よし。次、いってみよう!」という気
力が湧いてきます。 馬岡智子