25年前の1995年1月17日午前5時46分。

私は、大阪の実家の2階で寝ていた。

夜更かしをしていたこともあり、

長い揺れには気づいていたけど、

ひたすら布団を被って寝ていた。

母や兄が様子を見に来て、安心して去って行った。

まさかあんな被害が起こっていたとは知らなかった。

 

 

その後、階下に降りてテレビを見て

高速道路が倒れていたり

とんでもない惨状になって居るのを知った。

 

 

実家は2階のベランダの一部が崩れた。

私が子どもの頃に作った陶器の置物などが落ちて割れたり

家の中はそんなくらいだった。

 

 

私は何もせず、ダラダラと過ごした。

母からは、被災地方面に行かないように言われた。

言われなくても、私は自分から人のために動く人ではなかった。

 

 

その後、2011年3月11日午後2時46分。

東京で再び私はこの震災を体験した。

勤務中に地震があり、ジェットコースターに

強制的に乗せられているような

長い横揺れ、そして縦揺れだった。

 

息子たちが心配で、職場の電動自転車を借りて帰った。

小学中学年だった長男は小学校から帰宅させられ

家でひとりで怯えていた。

ようやく繋がった電話で「目の前の図書館へ行って!」

と言うと「本が全部落ちたから、閉館になってる」と。

結局、同じアパートに住む友達の家で

私が帰るまでお邪魔させてもらった。

事前連絡できなかったけど、緊急事態に

お留守番に来ていたおばあちゃんが快く受け入れてくれていた。

 

小学校の後、学童に行っていた次男が帰って来ない。

長男と一緒に次男を学童に迎えに行ってみると

「連絡できないけど、今日は迎えなしでは帰しません」

と学童の先生の言葉に心強い気持ちになった。

最後の迎えは、夜中3時過ぎだったそう。

勤務先から何時間もかけて歩き帰って、この時間だったとか。

学童の先生に頭がさがる思いだった。

 

その日、目の前のスーパーでは物がなくなった。

電池や食料などは全て空になっていた。

 

その後も、日本全国あちこちで災害が起こっている。

私、その後も募金箱に気持ちばかり寄付するだけで

何も行動できずにいる。

被災地のニュースを見るたび、心が痛む。

 

 

今年、子どもたちも巣立っていく。

次こそ、何かできる自分になりたい。

 

 

今朝は起きてから黙祷。

いろいろな思いがよぎった1日だった。