※ 注 ※
(今日はビスケットの日だそうですが)
勿論 んなモン一切カンケーない・
見方によっては 気分の悪くなりそうな
記事です、閲覧注意 だぞッ(UQかよ)





昨日は 寝ずにAM1:30過ぎから
仕事だった気がしてて
昼間は寝たり起きたりシコったり を
繰り返した気もしてて(ぉぃ)
家族が不在な事もあり
自由に過ごしてた気もしてて
なんか眠れず この時間。

そんなチョー自由時間に
一体何してたかってーと
(誰も聞いてないわよ)
今更
ABCのL(なんのこっちゃ解らんヒトは
検索でもしてみろっち)を 何故か
誰ぞの人生とチラチラ重ねてみたり…
とにかく 再考した。




彼女は 幸せだったろうか

疲れただけだったろうか

結局 彼女にとっての"愛"とは
何だったのだろうか


感謝も 謝罪も
それは 唯一血を分かつ私へ向けた
モノではなかった

彼女の真意を知る者は
当然 誰も居ない


年が開け
あれ以来 初めて私の夢の中に現れた
彼女は とてもココで書けるような
姿ではなかった

何かを示唆してたとか
そういう類のモノではないと思うが
おそらく
心を 何も貰ってないような気がしてる
私自身が そうさせたのだと思っている


荒んでるのは 私の心 なのだろう



オヴェスは言った

人間の幸せ とは
どれだけのことをしてもらったか
じゃない
どれだけのことをしてきたか なんだよ


言葉を彼女に置き換えると
なんと幸せだったろうか

私の耳に届くのは
死した彼女へ対する 他者からの感謝
しかし
それを私が聞いたところで
彼女は彼女・私は私

彼女の苦労を多少は解ってるので
私は 彼女のようにはなりたくない
後世に名を残したいワケでもない
たとえ(仮に)寂しかろうが
小さく細くとも穏やかに生き
穏やかに死にたい派 なのである

近年のコンパクト化された葬儀を
昔に比べて花が少ないとかナントカ
そういう意味で「寂しいね」と
言う昭和な方も居るが
寂しいだの思ってるのは 貴方方で
御本人は そうでもないだろう
が故に
私は 人知れず死んだって構わない
とさえ思っている

"意味"を為すのだとしたら
それは 生 であり、死 ではない。


ともあれ、 結論づけると

"なのだとしたら"
エルも彼女も 幸せだったのだろう


ただ
'どれだけのこと'もしてない私は
この小さく細い幸せを 事絶えるまで
じっくりと噛み締めてく
その方向で大丈夫
そこに"愛"は在るぜ ベイベー。

という事を改めて感じた
ビスケットの日
これから風呂入って寝ますゞ