今回は、月読尊が「古事記」と「日本書紀」にどのように記載されているのか、ポイントをまとめてみます🧑‍💻


🌝月読尊の記述


💠『古事記』

🔹月讀命は伊邪那伎命の右目を洗った際に生み出されました。

🔹月讀命は、伊耶那伎命から「夜の食国を知らせ」と命ぜられます。(夜の世界の統治を任されました)


⤴これだけです💦


💠『日本書紀』

🔹天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じました。(葦原中国・出雲)

保食神は口から吐き出したもので月夜見尊をもてなしました。月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で斬り殺してしまいます。

保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源になります。

天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言いました。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになりました。


存在感のない月読尊が、保食神という神を「日本書紀 」でだけ殺しています。

古事記で似た話があります。


💠『古事記』(スサノオの話)

食物の神(大気都比売神・おほげつひめ)が殺されますが、殺したのは須佐之男命です。


食物の神が殺されています。

日本書紀では、月読尊が殺しました。
古事記では、須佐之男が殺しました。


さて、食物の神とは誰なのでしょう…


🍚保食神の正体

食べ物の神で思い出すのは、伊勢神宮外宮・籠神社奥の院に祀られている豊受大神です。

🔹外宮ホームページより
豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。

🔹籠神社ホームページより
産業、衣食住の神様。 月神の一面をお持ちであり、天御中主神と同神であると伝えられる。

🔹Wikipedia より
豊受大神の神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。

上記の内容から、保食神は豊受大神と考えます。伊勢神宮外宮の社伝(記述は最後に添付)では、元々は 丹波の神とされます。

この丹波の豊受大神は、浦島太郎の時に調べていまして『豊玉姫 か玉依姫か?』というところまで来ています。

もしかしたら二人で、豊受大神かもしれません。

🔸籠神社の 月神の一面を持つ、天御中主神と同神であると伝えられる。
この意味は分かりません💦

分からない事はありますが💦保食神は、豊受大神で、豊玉姫 と考えていいと思います。殺されているからです。


保食神→豊受大神→豊玉姫→八岐大蛇


豊玉姫→八岐大蛇ここは、浦島太郎の時に ガッチリやりました💪


日本書紀と古事記で、殺した人物が違います。

なぜでしょう…

私はどちらの話を信じるかといえば、信頼と実績の日本書紀です。

日本書紀は「真実を伝えたい」そういう思いの人達で作られています。


月読尊が保食神を殺した


これは最大のタブーで、表現できるギリギリのラインまで書いたのだと思います。

なぜかと言うと、月読尊は裏天皇だからです。。
この人に歯向かっては生きていけません。

当時の人達は、皆知っていたのに口をつぐみました。そして罪をスサノオになすりつけた…

例えが 悪いですが、ジャニーズ事務所の社長さんの罪を、マスコミが黙っていたのと、構造がよく似ています。


大きく見て隠蔽は二重になっていました。

🔹隠蔽1
豊玉姫をヤマタノオロチにする

🔹隠蔽2
殺したのはスサノオにする

1年前 私が気づいたのは隠蔽1まででした。

豊玉姫は、秦さんが殺していました。



🌑暗闇に落ちて


大国主に会った秦さんは、喜びの絶頂でした。
大変だった旅路も報われて、この国の為に自分達ができることを精一杯しようと思っていたはずです。

それが、自分たちより前に日本に着いていた同族の者が、大国主の母親を殺していたことがわかります。

保食神は月読尊をもてなしています。
敵対心はありませんでした。
ただ「殺さなければ」と思うくらい、気味が悪かった…


これは絶対にあってはいけないことでした。
やっと出会えた神の母を、永遠の忠誠を誓った人の母を、一族が殺していたのです。

秦さんは、導かれてこの国に来ました。この国で、この国の人と生きていく運命(さだめ)にあります。

この事実は絶っ対に受け入れ難く、許せるものではありませんでした。

そして知られてはいけない事でした。

皆、秦さんを怖がって隠蔽に協力します。秦さんも隠しました。

そうやって、秦さんは暗闇に落ちていきました。白うさぎは、闇に生きるカラスになりました。







秦さんは私のブログを読んでいないと思いますが、私の気持ちを書きます。


私の考えたこの話が合っていたら、ずっと隠していたのに、ごめんなさい。。


私は秦さんが、どれほど日本のために貢献してくれたのか、ほとんど理解できていないでしょう。

日本に生まれて、『この国に生まれてよかった。誇らしい。ラッキーだった!』何度思ったかわからない。

その裏に必ず秦さんがいたはずです。

それに私の思い違いだったらいいのですが、日本を守るために、過去にとんでもないことをしていませんか…

これはブログには書きません。
心の中にしまっておきます。


国籍もない、名前もない、恐ろしげな人たち…

そんな闇の住人になっても、日本人を守り続けてくれました。


なんという人達なのでしょう。
涙が止まりません。


これから世の中は明るくなります。


その時 秦さんが、まだ闇の住人だったら日本は明るくなりません!


日本人はキリストの末裔なんですよね?
だったら大変かもしれないけど、自分で何とかするはずです!

だから、2000年以上もいた岩戸から出て、白うさぎに戻ってほしいです!


大国主が因幡で会った。あの時のうさぎに。






今、たくさんの人が過去と向き合って生まれ変わろうとしています。

もちろん私もです。

秦さん 待っています。



《補足情報》

 伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。


 『丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。