猿田彦、まだ終わりません。
まだ奥があると思っています😅

ずっと出雲と大和の話をしていましたが、日本には第三の集団があります。

この第三の集団は、猿田彦(大国主)にとても関係があり、こちらも見ていきます💦

加茂氏、物部氏、秦氏、海部氏、忌部氏にあたり、聞いたことがあると思います。

どの一族も、どんな集団なのか分かりにくくないですか?


こんな例え話を考えてみました🌷

第三のグループは、腸内細菌で言えば、善玉菌でも悪玉菌でもなく、日和見菌です。

日和見菌と言うと弱そうですが、日本の屋台骨を支える大黒柱の様なグループだったりします。


銀河英雄伝説で言うと、フェザーンにあたります。

帝国軍と同盟軍の間に立ち、国家を作らず、自治領にして、戦争捕虜の交換や自由商人の交易の場にしました。
両国の絶妙な位置に経ち、攻撃を受けないようにします。
武器は情報と財力です。

二つ例え話を考えてみましたが、どちらも的を得ていません…😓

彼らはフェザーンのような拝金主義ではありません。
神、宗教、芸術に造詣が深く、国造りに必要なインフラ事業を手掛けます(秦)

彼らは表立って行動しません。
しかも家を乗っ取ったり乗っ取られたり、偽装で「八」をつけてカモフラージュをしたり、しかも全部裏でやるので確証がありません。

今回は、海部族と秦一族のほんのさわりを書いてみます😅
ここら辺、中々理解が進まず😭すごく時間がかかりそうなので💦サラッといきます。サラッと。


🌊海部族(あまべ)

海人部または 海部(あまべ) とは、大化の改新以前に、海辺に住み、産物を中央に貢納した。

海人族に属すと考えられる氏族としては安曇氏、海犬養氏、宗像氏などが代表的である。ほかに海部氏(籠神社宮司家)や津守氏、和珥氏も元は海人族であったとする説がある。

 海産物の貢納と、優れた航海技術で朝廷に奉仕したと思われる。 遠江国・信濃国・越前国より西に分布し、とりわけ代表的なものが紀伊国・淡路国・阿波国・吉備国の海部である。海部直などは伴造(とものみやつこ)の尾張氏吉備氏などに従属した。なお、直、首、公などの姓は伴造の姓に由来すると考えられている。Wiki より


重要なのは、籠神社の宮司が代々海部であるということです。


籠神社の奥の院は眞名井神社で、祭神が豊受大神になり、籠神社の祭神が彦火明命(天照国照彦火明命)になります。

このことから、母マリアは海部だったと考えられています。
眞名井神社は後で書きます🐉

京都丹後半島を主軸にして、航海技術があるので、基本は日本の港(伊勢)に分布していました。

安曇や尾張という地名から分かるように、内陸にも拡大します。

尾張地方は草薙の剣がある熱田神宮があります。

ここは代々尾張氏が宮司を務める。実はこの尾張氏の別姓が海部氏なのである。系図も同じ。始祖が火明命で、かなりの部分が国宝「海部系図」と一致する。
「失われたイエスキリスト『天照大神』の謎より」

特に国府宮は海部族の大きな拠点になります。

「久」のルーツにもなっています。


🌩国津か天津か


これは出雲族が、国府宮の宮司・久田氏の「久」を取り、出雲族の隠語にしたと、私が考えました(^_^;)

国府宮は昔、乗っ取りにあったという話があります。
現在は宮司は久田氏ではありません。

出雲族の証として、「久」を名字、地名、山、川、神社の名前につけていったと考えました。
✦逆に藤原に「藤」を付けられた所もあります。

海部族の話をしているのに、急に出雲族が出てきました💦

それは、天照国照彦火明命の父親が国津で、出雲族だからです。
(理由は浦島太郎のお話に書きました)



🌟父は国之常立であるスサノオです。
🌟父が国津なので、子も国津です。
🌟天照国照彦火明命は、本当は国津です。

✦天照国照彦火明命=大国主=イエス

天照は国津だと書きました。
公式とは違う内容です。

玉前神社から出雲大社へ伸びる光の レイライン から、父親は国津スサノオであると確信しました。

なので国津だと書いています。

この逆転が、籠神社でも起きていると考えます。

籠神社の宮司は「海部の祖神は天神であって、海神ではありません」と発言されています。
これは「私たちは国津ではなく、天津だ」という意味になります。

申し訳ないですが、この発言はおかしいです。
籠神社がある丹後半島には、国常立神を祀る神社がいくつもあり「国久の送り狼」という伝説まであります。

阿射加神社由緒にも
「猿田彦大神は、我が伊勢の国の国津神であられます。」
とありました。


昔、籠神社の宮司の娘、真名井御前は籠神社の秘宝とされていた筺を、空海に渡したとする伝話が残されています。

⤴この話が本当なら、何者かから筺を守ろうとした?のでしょうか🙄

こんなことを考えると籠神社も、歴史のある時点で天津に乗っ取られたのではないか🤔と考えますが、証明するのが難しいので、この話はここまでにします。

インターネットや書籍では、大変調べられている方がいます。



昔の記事で、尾張出身の織田信長は天皇を倒そうとしていたと書きました。

同じことを考えている歴史家はいないかな〜😗と思っていたら、昨年幕末のブログを書いているときに参考にした「逆説の日本史」の井沢元彦さんが同じことを考察されていました。それを読んで、ほぼ間違いないと確信しました🙄

本来、天照国照彦火明命は国津なのですから、その子孫である尾張の武将が天皇を倒そうとしたことは、何も不思議ではありません。

平将門公も同じです。


🌊産まれた場所🧑‍🍼✨


イエスの産まれた場所は、いまだに特定できていません。

イスラエルでは、ナザレかベツレヘムか論争があり、上森さんはキルギスだとおっしゃっています。


今回、猿田彦を調べていたら、興味深い話を読みました📖


「サルタヒコのゆくえ」からです。

『出雲國風土記』の「加賀郷」に次のような記述があります。

「佐太大神の生れましし所なり」

「御祖神魂命の御子、支佐加比売命、闇き岩屋かも、と詔りたまひて、金弓を以て射給ひし時に、光加加明きき、故、加加と云ふ。」




加賀の潜戸(くけど)
島根県松江市 山陰観光ガイドより


支佐加比売命は「真っ暗な岩屋であるなあ」とおっしゃって、黄金の弓で岩屋を射られた時に、日光が入ってきて、洞窟内が照らされたので 「あぁ!かかやけり(輝けり)」 と言ったことで「カカ(加賀)」という地名になりました。

猿田彦は、加賀の潜戸で産まれました。

お産をする時に、洞窟に光が入ってきた事を、光の神の誕生に重ねています。

著者の戸矢学さんは、シンプルに猿田彦を追っています。
サルタヒコ=イエスと考えていません。なので、猿田彦の出生地と思って書いています。


私はこのくだりを読んだ時、叫びました。



👶家族構成の確認


『出雲國風土記』では加賀の潜戸が、猿田彦の誕生地としており、それは猿田彦が海部族になり、お母さんは海の何処からか来た者と理解が出来ます。

支佐加比売命の家族をみていきます。


🌊おじいちゃん

支佐加比売命の父は、神魂命
神魂命は、神産巣日神。
出雲を中心とした神話世界の守護神的存在です。

🌊お父さん

子の父は、麻須羅神(ますらかみ)です。
麻須羅神はどんな神なのか、ネットで探しても見つけられませんでした。なので、分解してキーワードで探します。

麻須羅神の「須」、加賀の「賀」が入っている野田の須賀神社の祭神は、須佐之男です。
ますらかみ(麻須羅神)は、益荒神と同じ読み方です。
荒ぶる神とは、須佐之男です。

岩手県毛越寺で、正月二十日に麻須羅神のお祭りが行われその後、蘇民祭があります。
蘇民祭は、主に須佐之男を祀る神社で行われています。


スサノオは、父親であるということを消されています。なのでキーワードや繋がりを見るので、分かりにくいです😅


🌊お約束の姉妹👯

キサガイヒメ・ウムギヒメの姉妹

💃姉・お母さん
・古事記 𧏛貝比売(きさかひひめ)
 出雲国風土記 
 支(枳)佐加比売命(きさかひめのみこと)
 特徴 
 佐太大神(猿田彦)を産みました
 赤貝の神格化
 火傷した大国主の為に、赤貝の殻を粉末にして、粉を集めました。


💃妹
・古事記 蛤貝比売 (うむかひひめ )
 出雲国風土記 
 宇武賀比売命(うむかひめのみこと)
 特徴
 蛤を神格化
 粉末にした赤貝の殻を、母乳に見立てた蛤の白い汁で溶き、火傷に塗ると、大国主は蘇生しました。
 

言い伝えでは、海人族の女たちは潜戸で子供を産み、育てていました。


加賀の潜戸は、全国的にあまり有名な場所ではありません。


この場所、、キリストさんの生まれた所かもしれなくて


けっこう自信あるんですけど、、誰か何とかしてくれないかな😅







✦参考資料

「サルタヒコの行方」 著 戸谷学
「謎のサルタヒコ」 著 鎌田東二
「失われたイエスキリスト天照大神の謎」 
 著 三神たける 飛鳥昭雄
Wikipedia