今回は、松蔭と栄太郎さんのエピソードを書きます。

実はこれ、一番書きたくありませんでした😂

栄太郎さんの事を、お話に入れなかった理由の一つです💦

松蔭先生は素晴らしい面を持っています。それと同じぐらい難しい面を持っていて、いい人なのか悪い人なのか分からない異様にでかすぎる人間性が魅力でもありますが、それがちゃんと伝えられないような気がして…

松蔭先生だって、昔の話を蒸し返されるのは嫌だろうし…

栄太郎さんは、松蔭先生の一番ダークな所を食らってしまった人です😞

実際どう思っていたのか、本人にしか分かりませんが…


そんな事を思いつつ、書き始めます🐦



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⭐君は無逸(むいつ)だ


栄太郎は松蔭に名(いみな)と字(あざな)をつけてほしいと頼みました。

松蔭は努力すれば秀でて実る秀実(ひでざね)、そのためには正道を逸しないよう無逸(むいつ)の名前送りました。

栄太郎は塾で真面目に学びましたが、家計を支えるため、江戸へ雑役として勤めに行かなければいけません。

そんな栄太郎に「若くし其の人なく候わば貴所が即ち其の人と存じ候」と伝えます。
あなたを後継者と考えていますよ。ということです。そして

天下国家の御事は中々一朝一夕に参るものに之なく、積年の至誠積みにつみての上ならでは達するものに御座なく候

「至誠」を重ねて変革せよ。

と教えました。そして、「吉田無逸を送る序」では、

君はこれから酒色か財利しか興味のない下級役人の群れに身を投じるのだから、誠の心を持ってかれらを義に導けと伝え

江戸また一大都会なり、無逸更にその大なる者を観よ

と大きく羽ばたいて欲しいと励ましています。



松蔭は江戸にいる桂に、大事にしている生徒だから、指導してやってほしいと手紙を書いています。


栄太郎は、とても筆まめで、萩に江戸の情報などを書き、せっせと手紙を送っています。

幕臣や大名の屋敷に出入りする下々の者に接近し、情報を引き出していました。


栄太郎が送った情報は書き写し、回覧され、この頃から情報収集、分析能力に長けていたことがわかります。

無駄口を叩かず物静かな人物と聞きましだが、大変活動的な面もあるようです。ちなみに武術も秀でていて「宝蔵院槍術」と「柳生新陰流剣術」を修得しています。槍が得意だったようです。



また、手紙の中にこんな内容がありました。


「去年の今日、始めて貴師(松蔭)に侍す」


栄太郎は、松蔭先生と10月16日に初めて会い、この日を大切な記念日にしていて、そのことを伝えています🎊


そして、そういえば今日は10月16日!

いゃ〜たまたまが多いなぁ😅


他に松蔭は、増野徳民に「無咎(むきゆう)」、松浦松洞に「無窮(むきゆう)」の字を与え、無逸を入れて「三無生」になり、この三人が松下村塾の基礎を築いた塾生になります。



⭐すれ違う二人


1858年6月27日、栄太郎が帰国することを知った松蔭は、嬉しい気持ちを久坂玄瑞に宛てた手紙に書いています。

その頃、各藩から「大老井伊直弼を暗殺する計画を進めている」という情報が飛び交い始めます。

松蔭は、安政の大獄の指揮をとる間部詮勝を暗殺し、長州を革命の旗振り役にしようと考えていました。

これに桂さんが中心になり反対します。
桂さんは塾生ではありません。
しかし塾生のほとんどは、桂さんの訴える静観論に同調しました。


それに対し松蔭は「皆々濡れ手で粟をつかむつもりか!」激しく罵ります。


これ、どういうことかと言いますと「桜田門外の変」が起きた後、一気に風向きが変わります🌬

幕府を倒すべきだ!と言っても「250年以上も続いた幕府が本当に倒れるのだろうか…」皆、心のどこかでそう思っていました。

それが幕府の最高権力者が、たった数十名の刺客によって殺された。。

考えられない事が起こってしまったんです。

もしかしたら本当に世の中は変わるかもしれない。。できるかもしれない。

いや 変えるんだ!俺たちが!!


そう人々の心が変わりました。そうなると倒幕に勢いがついて、どの藩もこの時流に乗り遅れないようにします。

松蔭が言いたかったことは、誰かの犠牲によって作られた時流に、後から乗るつもりなのか?それではいけない。その時流を我々が作るのだ。それを伝えたかったのです。

歴史を振り返ってみれば「桜田門外の変」が、いかに重要かわかるのですが、リアルタイムで生きている人が理解するのは難しいです。



その頃の栄太郎は、すでに松蔭と共に死ぬ覚悟を決めていました。

家のルーツをまとめた家譜を作成していて、そこに「秀実、王事に勤めて死す」と自ら書いています。

栄太郎さんに迷いはなかったんです。

だけど、家族が止めました。

この頃の塾生は「乱民」と呼ばれ、家族も村八分にあいました。

栄太郎の両親は多額の借金があり、生きるのが精一杯です。まだ小さいフサも育てなければいけません。

家族を見捨てることができない栄太郎も、松蔭と距離を取り始めます。

家族を犠牲にしない、栄太郎さんの優しさです。



そんな栄太郎の家に、松蔭は間垣を越えて😅やってきました。(入江も連れてきた💦)そして朝まで談判に及びます。

栄太郎はそろばんを抱き「われまさに俗史を学ぶべきのみ」と松蔭を睨みつけました。

俗史(ぞくり)・つまらない事務などを扱う役人、役人をあざける言葉


松蔭はその夜のことを

「香煎を一杯飲んで栄太と別れしは、永訣かも知れざるなり」と高杉に宛てた書簡にあります。

もう、つきまとわないでくれ…ということでしょうね😔



その時の栄太郎さんは自宅謹慎中でした。

藩から松蔭を再び野山獄に投じるよう命じた為、塾生8名が「罪名を問いたい」と押しかけました。塾生は城下を騒がせた罪として自宅謹慎の処分になります。
この中に栄太郎もいました。

松蔭は罪が分からなければ獄には入らないと拒否しますが、藩の方から交換条件として、入獄すれば門下生の罪を許すというので、承諾しました。


入獄する前日に別れの会が開かれましたが、栄太郎はこれにも出席していません。この頃から栄太郎は塾生達とも距離が出来てきます。


栄太郎の父親は、自慢の息子がまさか自宅謹慎になるなんて青天の霹靂で、それ以降栄太郎の行動を心配するようになります。

栄太郎は父親に「心配することはない。親孝行したい」と父がいる江戸へ手紙を書き安心させようとしています。




入獄しても松蔭に栄太郎からの連絡はありません。

我慢の限界を超えた松蔭は「無逸に与う」と題した手紙を送ります。


お前が俺のことを思っていて、お互い一生懸命思い合っているのになぜ答えない!

両親を思うのは私情だ。

今日のような非常の場合には通用しないと責め立てます。


この時も栄太郎は返事をしませんでした。


栄太郎からの連絡はなしのつぶてで、そんな栄太郎に元々狂っている松蔭が、限界を超えて狂ってしまうのでした。。



《つづく》


参考資料

吉田稔麿 松陰の志を継いだ男
著 一坂太郎

Wikipedia

いくつかネットを見ました。