最近、 亡くなって20年近く経った 祖父のことをよく思い出します。


口数が少なく、 曲がったことが嫌いで、 相撲を見るのが大好きでした。


物をストレートに話すので 若い頃は喧嘩が多かったようですが、 嘘をつけない少しぶっきらぼうな 祖父が私は好きでした。


太平洋戦争に行って、右太ももに流れ弾が当たり 今でも 銃弾 が足に入っている と 傷口を何回か見せられたことがあります。


よく戦争の話をしていましたが、 その話を聞くには私はまだ幼く、 外国の名前を聞いてもちんぷんかんぷんで、 宇宙戦艦ヤマトのような船が あちこちの島に行ったんだぐらいしか記憶がありません。


そして今思うと、 意図的に聞かないようにしていたところがあります。


戦争のことを これ以上 踏み込んで聞いてしまっては、『 私の好きなおじいちゃん』 が崩れてしまう 危うさを どこか に感じていました。


祖父は 新聞の折り込み 広告 を 何枚か長方形に切って、 重ねて隅をのり付けして、 少し大きめのメモ用紙を 作っていました。


私は祖父の部屋に入ってそれを見ると、 次々に 絵なのか字なのかわからないような いたずら書きをして、 あっという間にメモ用紙を 使ってしまうのですが、 祖父は何も言わず、 また新しいメモ用紙をせっせと作ってくれるのでした。


絵を描くのが得意になったのは、 祖父のおかげだと思います。



小学校高学年になると、 料理をよくするようになりました。


母があまり料理が得意ではなかったので、 知らない料理を食べてみたい という好奇心から 料理本を片手に 実験のような気持ちで 作るようになりました。


ある日、オムレツを作った時の事です。


オムレツを食べた祖父が『 こんな美味しい料理、今まで食べたことがない』 と一言つぶやきました。


その瞬間のことを私は今でも覚えています。


一瞬で世界が変わったようでした。


自分だけの世界から 人がいる暖かい世界に広がった感じです。


その日から 実験ではなくて 、食べてくれる人のことを思って 作るようになりました。



お世辞を言わない祖父が 私を褒めてくれた。 あの時の嬉しい気持ちが まだ私の中に続いています。


どう考えても普通のオムレツだったと思います。


あの時、 こうすればもっと美味しいんじゃないか、 ああすればもっと上手くできるんじゃないか などとアドバイスが入ったら、 もう記憶に残っていないかもしれません。


今思えば、 祖父は保育の勉強などしていなくても 私よりずっといい子育てを していたかもしれない。


知識や学歴など関係ない。


その人のいいところを 見つけてあげて 、 心から 褒めてあげる。 認めてあげる。

どんなに涼しそうな顔をしてる人だって、 私はへっちゃらだという顔をしている人だって 本当は分かって欲しいと言う という気持ちを持っていたりするものです。


そんな気持ちを 見つけてあげれる人になりたい。


私は 特別なことは何もない 普通な人間なのだから、 せめて 周りの人の 心が温かくなるような、 嬉しい気持ちになるような 言葉を かけてあげれるようになりたいと思います。






そろそろおやつにしましょう🏵️


『おやつだよ〰️🍰( 作るのに3日かかったよ💦) どうぞ召し上がれ😄』