新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章28~29節
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」
今朝3時半ころ目が覚めました。
起きてまだ暗い中祈り歩きに出ました。
少し走って歩いてを繰り返しながら祈って5キロほど。
世界中で何の罪もない命があとからあとから傷つけ奪い取られている日々が続いています。
神様があらゆる命に救いを届けてくださるよう祈り続けて歩きました。
その中で神様はこのメッセージをあなたに届けるように心に語ってくださいました。
あなたが今どんな状態でも、どんなに苦しくつらい状態にさせられていても、あなたの価値は全く変わっていません。
あなたは、あらゆるもの創造して保っておられる神様の”かけがえのない宝物”です。
だれも、あなたの尊厳を毛先ほども傷つけることはできません。
神様は、あなたが現在置かれている状況を通ることを知っておられました。
その上で、あなたに一つの願いをもっておられます。
冒頭の聖書の言葉に
「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」とあります。
イエス・キリストと似たものとすることによって、神様はあなたを通してご自分の愛をあなたとまわりのあらゆる方々に届けようとしておられます。
イエス・キリストの姿とは、『十字架の姿』。
イエス・キリストは、力のあるもののエゴと欲望のために一方的に傷つけられ、みじめな思いをさせられ、ボロボロにされ、挙句の果てに誰の助けも受けられないような絶望的な状況「十字架上のはりつけ」に追い込まれ、どこからの救いの手も届かないまま殺されてしまいました。
この最悪の状況から、神様はイエス・キリストを復活させられ、神様の右におかれました。
誰からどんな仕打ちを受けようとも、あらゆる人への無限の愛を決して手放されなかったイエス・キリスト。
それこそ、神様の想い!
人への永遠の愛。
今、誰もイエス・キリストの尊厳を傷つけることはだけません。
永遠の神の子、救い主イエス・キリストとして生きておられます。
世の混乱と人の心に巣くう深い罪(神様の愛から離れようとすること)のため、人が愛や希望に信頼することが困難になっています。
そんな世界に無限の愛を伝えるために、神様はあなたを用いようとしておられます。
どんな状態にあろうと、あなたのアイデンティティー、尊厳は不変。
神様のかけがえのない宝物!
神様はあなたを復活させられます。
あなたは、混乱した世で、あらゆる人に神様の無限の愛を伝える者とされていきます。
心から祈って応援しています。
暗闇のひろがる世において、神様の国の輝きがあなたを通して現わされます。
感謝。
「…もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか
…だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。…
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(31~39節)
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」
今朝3時半ころ目が覚めました。
起きてまだ暗い中祈り歩きに出ました。
少し走って歩いてを繰り返しながら祈って5キロほど。
世界中で何の罪もない命があとからあとから傷つけ奪い取られている日々が続いています。
神様があらゆる命に救いを届けてくださるよう祈り続けて歩きました。
その中で神様はこのメッセージをあなたに届けるように心に語ってくださいました。
あなたが今どんな状態でも、どんなに苦しくつらい状態にさせられていても、あなたの価値は全く変わっていません。
あなたは、あらゆるもの創造して保っておられる神様の”かけがえのない宝物”です。
だれも、あなたの尊厳を毛先ほども傷つけることはできません。
神様は、あなたが現在置かれている状況を通ることを知っておられました。
その上で、あなたに一つの願いをもっておられます。
冒頭の聖書の言葉に
「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」とあります。
イエス・キリストと似たものとすることによって、神様はあなたを通してご自分の愛をあなたとまわりのあらゆる方々に届けようとしておられます。
イエス・キリストの姿とは、『十字架の姿』。
イエス・キリストは、力のあるもののエゴと欲望のために一方的に傷つけられ、みじめな思いをさせられ、ボロボロにされ、挙句の果てに誰の助けも受けられないような絶望的な状況「十字架上のはりつけ」に追い込まれ、どこからの救いの手も届かないまま殺されてしまいました。
この最悪の状況から、神様はイエス・キリストを復活させられ、神様の右におかれました。
誰からどんな仕打ちを受けようとも、あらゆる人への無限の愛を決して手放されなかったイエス・キリスト。
それこそ、神様の想い!
人への永遠の愛。
今、誰もイエス・キリストの尊厳を傷つけることはだけません。
永遠の神の子、救い主イエス・キリストとして生きておられます。
世の混乱と人の心に巣くう深い罪(神様の愛から離れようとすること)のため、人が愛や希望に信頼することが困難になっています。
そんな世界に無限の愛を伝えるために、神様はあなたを用いようとしておられます。
どんな状態にあろうと、あなたのアイデンティティー、尊厳は不変。
神様のかけがえのない宝物!
神様はあなたを復活させられます。
あなたは、混乱した世で、あらゆる人に神様の無限の愛を伝える者とされていきます。
心から祈って応援しています。
暗闇のひろがる世において、神様の国の輝きがあなたを通して現わされます。
感謝。
「…もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか
…だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。…
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(31~39節)