「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
 主のあわれみは尽きないからだ。
 それは朝ごとに新しい。」
   (旧約聖書 哀歌3章22~23節 新共同訳)

「私たちが滅び失せなかったのは」と哀歌の作者は言っています。

かなり困難な状況で生きていたようです。
少し前を読むと作者の苦しさが伝わってきます。

「私のたましいは平安から遠のき、私はしあわせを忘れてしまった。
 私は言った。『私の誉れと、主から受けた望みは消えうせた』と。
 私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。」(17~21節)

まわりには楽しそうに生きている人たちがいるのに、取り残されたような…

「にがい思いがうかんで心が沈む」と言っています。

つづけて、こう言います。

「それゆえ、私は待ち望む」

この言葉に続くのが冒頭の聖書の個所。

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。
 主のあわれみは尽きないからだ。」

なんだかんだ言って、今日目が覚め、命が与えられているのは、神様が私に命をくれているから。
そうだ、神様は私の命を永遠に大切に思ってくださっている!

人と関係がこじれると回復するのはややこしい。
でも、神様は、こちらがどんなに問題起こして泥沼にはまっていても、いつでも私の言葉を待っていて、そこから救いの道へと導いてくださる!
神様の愛はつきない!

「それは朝ごとに新しい。」

そうだ! 
今日生かされているということは、神様がその無限のゆるしと愛で包んで新しく生きなおさせてくださるため!

「『主こそ、私の受ける分です』と私のたましいは言う。
 それゆえ、私は主を待ち望む。」

この作者と一緒に、あなたも私も、全知全能の神様の愛と救いを待ち望むことができます!

神様の救済計画は進行中!

顔を上げて、感謝して、安心して一歩ずつ神様と進んでいきましょう。

感謝
「義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。」
   (旧約聖書 詩篇 第4篇5節 新改訳)

神様は私たちを「大切なたからもの」だとず~~~~っと言ってくださっています。

どれだけ失敗したり、間違ったことしてきていたとしても、変わりません。

だからと言って、「そのままで良い」とはなりません。

冒頭の聖書の言葉に書かれています。
「義のいけにえをささげ、主により頼め」

「義」とは、神様の望まれる生き方。

「宝物なんだから、宝物として生きよ」

自分やまわりの命をとことん大切にして生きる。

ありのままの自分を丸抱えで受けとめて下さり、宝物として愛し続けてくださっている神様の愛を知ると、とてもうれしくなります。
そこで思うわけです。

「よし、これからは自分やまわりの人を大切に生きよう」

でも、これがハンパなくむずかしいのです。
失敗する。

私たちが神様と一緒に愛で生きようとすると、必ずジャマが入ります。
100パーセント入ります。

聖書に書かれています。

「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」
   (エフェソの信徒への手紙 6章12節 新共同訳)

この「闇の力」が私たちのジャマをしてきます。
何千年も人のジャマをしてきていますから、巧妙にやられてしまいます。

目の前に恐ろしい姿で出てきて脅かすというようなことはまずしません。

ちょっとした出来事や人の言動をとらえて、そっと心に語りかけてきます。まるで自分が思っているかのように…

「おっと、今の発言はないんじゃない? 言い返したら?」
「危な! 腹立つよね、ゆるせないよね? やりかえそうよ!」
っていう感じで…

あっという間にその策略にのせられる。

「しまった」と一瞬思ったとしても、すぐに「でも、相手がわるいんだから!」とささやかれて、方向転換のチャンスを逃してしまう…

そして、方向転換して神様の宝物として生きなおすことをあきらめてしまう。

「闇の力」の思うツボ!

私はこんなことを延々と繰り返してきました。
でも、神様は冒頭の聖書の言葉につづきがあることに気づかせてくれました。

「主により頼め!」

聖書の別の個所にはこうも書かれています。

「『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主はおおせられる。」
   (ゼカリヤ書 4章6節 新改訳)

自分の努力に頼ってではなく、ただ神様の霊によって実行させてもらう。
神様に頼って進む。

「頼って進みますから、よろしくお願します」と。

そうすると、問題が起こらないわけじゃない。
でも、起こった時に、神様の「まて、しずまれ、私が必ず道を開くから待て!」という声が「闇の声」よりもしっかり心に届きます。

そこで、ひと呼吸。
この「一呼吸」が大きな変化をもたらしてくれます。

聖書に預言されているように、ますます世の中は混乱し、人々の心はざわついていくでしょう。

だから、神様は、あなたを選び、あなたに呼びかけておられます。

あなたが神様の国がひろがる突破口になります。

誰もがひきつけられる「神様の国」があなたからひろがります。

感謝、感謝!
旧約聖書 詩篇 第3篇1~2節(新改訳)
「主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
 多くの者が私のたましいのことを言っています。『彼に神の救いはない』と。」

世は人にとって便利になり、良くなっているように見えても、根本的なところで何の解決も与えてくれません。

解決したように見えても、それは一時的。

「これが良い」「これをやってれば安心」などという情報がまわりから押し寄せてきます。

選ぶのも手に入れるのも大変。
うまくいかない方が多くて、ムダなことばかりしてるような・・・

この混乱状態から救ってくれるのは、あなたや私を無限に愛してくださっている神様。

神様はこう言ってくださっています。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
   (エレミヤ書29章11節 新改訳)

混乱しているように思えても、どんなミスや失敗に思えることも全知全能の神様があなたのためにすべてを平安へと導いてくださっています。

救済計画は進行中です。
そのジャマをするのは、焦りや恐れからしてしまう言動。

自分でじたばたすることをやめ、朝一から神様に信頼を宣言して歩み出す。
すると、神様の愛を命懸けで現わしてくださったイエス・キリストの言葉の通りになります。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
   (ヨハネの福音書14章27節)

3000年ほど前のイスラエルの王ダビデも、毎日不安と恐れで振り回されていた時、神様に信頼する歌を自分と神様に向かって歌いました。
そして、全能の神様の愛の中で平安を受け取りました。
それが冒頭の詩篇。

「3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
 4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。
 5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
 6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
 7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
 8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民(私と大切なひとたち)に上にありますように。」

自分の祈りとして声に出してどうぞ。
必ずその通りになります!

あなたは神様の宝物ですから!
必ずあなたは守られていきます!