【報告】在日タタール人らもロシア大使館前で「戦争反対」行動 | ロシア・CIS・チェチェン

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おいプーチン、チェチェンから撤退しろ!今ならまだ間に合うぜ by アンドレイ・バビーツキ

報告:在日タタール人らもロシア大使館前で「戦争反対」行動

3月5日、東京にあるロシア大使館前で、在日タタール人を中心にしたグループが、反戦平和の声をあげました。彼らはロシア国籍ですが、ロシア軍のウクライナ侵攻に抗議しています。彼らは、英語で「ストップ・ウォー」「ノー・プーチン」と手書きしたプラカードを持ち、日本語やロシア語で「戦争反対!」「ウクライナに平和を!」と叫びました。また、見知らぬ日本人から、ウクライナ国旗をかたどったプラカードをもらったそうです。ウクライナにも信者がいる、日本山妙法寺の僧侶とも遭遇し、その太鼓の音をバックに反戦平和を訴えました。

 

当日は、大勢の日本の警官が駐日ロシア大使館を厳重警備。駐日ロシア大使館は、「日本は100年も経たぬ間に二度もナチス政権を支持する挙に出ました。かつてはヒトラー政権を、そして今回はウクライナ政権を支持したのです」といったツイートを配信。戦況が悪化する中での、米国やNATOの「不作為」。彼らは、これらが理解できないと主張します。私たちは、勇気ある在日外国人らの行動に連帯し守り抜くと同時に、互いに丁寧な議論を重ねていくべきだと考えます。

 

【代理投稿・訳】佐藤和之(佼成学園教職員組合)

 

参考:クリミア半島とタタール人

 

今回の戦争を考える上で、タタール人の存在とクリミア半島の歴史は無視できません。ここで「タタールの軛」などの歴史は省略しますが、少なくとも知っておきたいのは、まずクリミア半島に起源をもつテュルク系先住民族がクリミア・タタール人だということです。彼らの大半はスンニ派ムスリムで、独自の言語をもちます。

 

歴史的には、ロシア革命後の1921年、「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」の構成国として、「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」が成立。スターリン時代の1932年、クリミア半島もまた、「ホロドモール」と呼ばれる人工的な飢饉にみまわれます。第2次世界大戦中の1944年には、クリミア・タタール人は対独協力の嫌疑で、中央アジアへ強制移住させられました。

 

「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」は1945年、「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」の「クリミア州」に再編され、1954年には「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」へ移管されます。1991年のソ連邦崩壊後、独立したウクライナに、「クリミア自治共和国」が復活。2014年に「クリミア危機」が発生すると、クリミア議会は住民投票を経て、ウクライナからの独立を宣言し、ロシアへの編入を承認しました。

 

その際、クリミア・タタール人は反対しましたが、すでにクリミア半島の少数派(12%)となっており、その意見は通りませんでした。なお、ウクライナ政府は、クリミア半島におけるロシアの主権を、認めていません。また、2017年に国際司法裁判所はクリミア・タタール人への差別の存在を認定し、2021年にはG7外相がクリミア・タタール人への人権侵害を非難する共同声明を発表。国際人権団体も、クリミア編入に反対したクリミア・タタール人は、ロシアから政治的迫害を受けていると報告しています。