こんにちは。皆様ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたでしょうか。

 

私はというと、春から小学校に入学した姪に「校歌のピアノを弾いてほしい」と言われ、約20年ぶりに小学校校歌の伴奏をしてきました。

やっぱり、ピアノと子供の声はいいなぁ…ということで。

文化と絡め、今回は昭和初期、山梨の音楽教育を支えた、“根津ピアノ”を紹介します。

 

根津ピアノとは?

甲州財閥のひとりである根津嘉一郎(1860~1940)。根津ピアノとは、昭和5年~8年にかけて、根津が故郷である山梨県の全小学校に贈った約200台のアップライトピアノのことを指します。

根津嘉一郎は甲斐国山梨郡正徳寺村(現山梨県山梨市)に生まれ、実業家、政治家として活躍しました。生涯を通じて200社以上の企業の経営に参加し、当時の鉄道事業に大きな影響を与えたことから、“鉄道王”として知られています。

また、“社会から得た利益は社会に還元する義務がある”との理念のもと、実業家として築いた富を、教育・文化事業に投じたことでも有名です。根津ピアノの存在は、根津の精神を象徴する例といえるかもしれません。

 

 

根津ピアノを聞きに。いざ都留市小形山 尾県郷土資料館

根津嘉一郎が約200台のピアノを贈ってから90年以上が経ちます。現存しているピアノは多くありませんが、県内のいくつかの施設では、当時の姿、そして音色を残しているものを見ることができます。

今回は現存する根津ピアノのうち、都留市小形山の尾県郷土資料館に展示されているものを見に行くことに。

 

こちらが尾県郷土資料館。明治11年に開校した旧尾県学校(昭和16年に周辺の小学校と統合)を復元したもので、昭和50年には山梨県の文化財に指定されました。

 

とんがり頭が特徴の洋風の建物ですが、明治初期の建物としては非常に画期的。当時、山梨県令だった藤村紫朗がこのような洋風建築を推奨したことから、“藤村式建築”と呼ばれます。

館内は当時の教室や教員室が復元されており、明治から昭和にかけての、地元の教育に関わる資料が展示されています。

 

 

 

 

愛され続ける根津ピアノ

 
    
   

こちらがお目当て、尾県郷土資料館の根津ピアノ。

蓋を開けると、“寄贈 根津嘉一郎”の文字が見えます。使用感はたっぷりでしたが、白く美しい象牙の鍵盤がしっかりと残っていました。本体の傷や鍵盤の剥がれは、子供たちのピアノとして、そして地域のピアノとして使われていた逞しさを感じます。

 

ちなみに、こちらのピアノは平成25年に修復・調律がされ、現在も弾くことができます。試弾させていただいたところ、古い木材特有の、温かく伸びのある音色でした。建物全体までピアノの音が大きく響くのは、木造の旧校舎ならではといったところでしょうか。

 

根津ピアノの意味

今では当たり前の存在の“小学校のピアノ”ですが、全国的にピアノが小学校に普及するようになったのは戦後になってからとされています。戦後、GHQの教育改革により、音楽教育が唱歌中心から器楽中心に変化したしたことも、その背景に。

昭和初期の地方では、ピアノは極めて高価な存在で、戦前の唱歌の伴奏はオルガンが中心でした。そしてそのオルガン自体、農村地帯では十分に行き渡ってはいなかったようです。

根津ピアノが贈られた時期の山梨は、中央本線が整備・電化される一方、まだまだ交通が不便な地域を残す時代。西洋楽器を見たことがないという人も多い中、ピアノという西洋文化に触れ、音色を聞ける環境を作った根津嘉一郎の偉大さを改めて感じます。

 

      

(左は1881~1884年発行の小学唱歌集。初めて五線譜が採用されました。右は戦前尋常小学校で使用されていた唱歌集のようです。)

 

 

ちょっと脱線

せっかくの機会ですので、少しだけ中を覗かせていただきました。

NIHON GAKKI(日本楽器製造株式会社。後にヤマハ株式会社に社名変更)と製造番号19517という刻印を確認。

  

日本で初めてピアノが作られたのは明治時代。国産楽器の第1号は、1900年(明治33年)に日本楽器製造株式会社によって作られました。

ピアノには、メーカーごと1台1台に製造番号が振られます。つまり、このピアノは日本楽器製造株式会社(ヤマハ)で作られた、19517番目のピアノということです。今ではピアノを弾かない人でも知っているヤマハのピアノですが、まだ2万台足らずしか存在していない頃のものと考えると…かなり貴重です。

作られたのはおそらく1920年代後半。メーカーである日本楽器製造株式会社が苦境に立たされた時期でもありますので、そういった意味でも味わい深い。(気になる方は、“1927年 日本楽器争議”で調べてみて下さい。)

 

ちなみにこちらは、冒頭で私が20年ぶりに校歌を弾くことになった、1999年製のピアノ(同じくヤマハ)。製造番号は根津ピアノの19517から大きく飛んで、5833557。ピアノ産業の発展を感じます。

 

 

今回ご紹介した尾県郷土資料館の根津ピアノですが、資料館の館長さんにお話しを伺ってみたところ、現在も地域の小学生がよく弾きにくるとのことでした。また、毎年秋口にはコンサートも行っているそう。

根津ピアノが製造され、そして山梨全域に届けられた1920年代後半~1930年代前半は、近代化の波に不況や政治の混乱が渦巻く、激動の時代でもあります。

ピアノが生まれ、演奏され、使われなくなり、そしてまた修理され…いろいろな時代に思いを馳せると、今直接聴くことのできる根津ピアノの音がかけがえのないものだと感じさせられます。

 

 

様々な運命を辿ったであろう根津ピアノ。現存するものとして、根津嘉一郎の実家を公開する山梨市根津記念館、北杜市津金学校、市川三郷町生涯学習センターなどでも見ることができます。コンサート情報と合わせ、ぜひチェックしてみてください!

 

 

※記事内の写真につきましては、都留市教育委員会の許可をいただいて使用しています。