あなたは誰なのか | 渡り鳥は宇宙を見てる

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弾き語ったり、踊ったり、苦悩したり感激したり、大泣き大笑い激しい人のブログ。


自分にとって、何かの岐路に立った時や、不安定になった時に、支えになるものが存在する。
音楽であったり絵画であったり映画であったり、小説や詩、誰かの一言、写真。
音楽は無くても生きていけると言っていた上司もいたけど、きっとその人にはその人の、支えになるものがあって、それが私とは違うところ。
誰かにとって、何か、些細なもの。
そのたった1つを作れたらと思いながら、やってきていたように思う。
取るに足りない一言であったり、切り取られた写真でも、曲の一部分でも絵画でも映画でも、何でも。
その一部を残したい。

生きているうちに、そういったものを作れたならいいなと思う。
それが音楽とは限らないし、文章かもしれないし、写真や絵か映像かもしれないけど。

生きること、社会の中で頑張って従って生きていくこと。
それに必死になると、何かを作りたい意欲は一気に無くなる。
音楽を聴くことも、映画を観ることも疎ましく、どんどん自分がすり減って、空っぽになっていくように感じた。
社会の中で自分の存在が切り絵みたいに浮き彫りになるし、自己が形成されて
『他人からどう見られているか、評価されるのか、他人の中の自分の像に近づけるためにはどうあるべきか』
なんて、意味の無いことに必死になりながら、自分を確立していった。
手を抜くことができない、気を抜くことができない、完璧にしなければならない、犯罪でもあるまいし、社会人だから、しっかりしなければ、数字を出して、結果を出して、頑張って。
社会の中にいると安定するようでいて、いつも、ぐらぐらしている。
息苦しい、毎月のように過呼吸を起こしながら、何をやっているんだろうなとふと思って立ち止まった。

自由に私の人生は存在するのに、まるで自由でいることは罪みたいな。
もう、やめようと思って。

時間が増えたことで、私の睡眠時間は圧倒的に増えた。
そうすると、精神的に安定してくる。
最近は音楽を聴くことが増えて、映画を観るようになった。
何かを作ることは、もう少し時間がかかりそうだけど。
やりたいという意欲が生まれたことは、自分でも驚きだった。
感覚が死んでいないということに喜んだ。

社会の中にいないというのに、今の私が本当に生きてる私であるということ。
不思議な感じがする。
これからは、もっと私の人生を生きていいのではないか。
言いたいことを言ってもいいのではないか。

そのうち何かを作れたらいいなという気楽さ。