平成30年4月23日(月)
長崎県入りして2日目となります
島原市に来ております
昨晩は島原市内の道の駅「みずなし本陣」にて休憩しました
こちらの道の駅のある付近一帯は
雲仙普賢岳の噴火災害にかかる土石流による被災地域でありまして
被災した家屋を当時のままで災害遺構として展示している
「土石流被災家屋保存公園」が隣接しております(見学無料)

二階建ての家屋の一階部分が完全に埋没、倒壊しており
土石流の脅威を実感できます
また、道の駅の敷地内には「火砕流体験館」もあります(こちらも入場無料)
シアタールームにおいて、間近で撮影された火砕流の貴重な映像を視聴できます
映像に合わせた音響や振動などの演出で火砕流の脅威をより一層、体感できる仕組みになっておりました
道の駅で噴火災害関連の展示物を見たのち出発、
こちらもまた災害遺構であります「旧・大野木場小学校校舎」へ来ました
火山監視所が併設されておりまして、監視所内は火山災害関連の資料が多数展示されており、無料で見学できます
火砕流の直撃こそはなかったものの
それに伴う熱風による被災をされたようです
校舎のは熱で歪んだ窓枠が残るのみで、ガラスはどの部分にも、
1枚たりともありません
ここから1キロほど離れた場所に新校舎が建てられ、
子供たちはそちらに通っているそうであります
当時こちらに通っていた子供たちや、この校舎で学んだ卒業生の方々には、
思い出の学び舎がこのようなことになってしまい心中お察しいたしますが
こちらからは犠牲者が出ていないことが、せめてもの救いかと
よそ者の観点ではありますが思いました
校庭の隅にあります、銀杏の木です
火砕流の熱風を受けてその身を焼かれながらも見事に復活した、
まさに「奇跡の銀杏」といったところでしょうか
東日本大震災の大津波に耐えた「奇跡の一本松」のような
復興のシンボル的な木が存在しておりました
火山災害のすさまじさと、それに耐えた銀杏の木から
自然の驚異と力強さを実感できました
小学校跡を出て、少し山をドライブします
仁田峠へまいりました
地図見た感じでは
自動車では一番、普賢岳に近づけるのはここかな、と思いまして
本日は少々雲が厚くて、山頂部は見えませんでした
天候ばかりは、仕方ありません
山を下る途中で、雲仙温泉街の「雲仙地獄」に立ち寄りました
100℃超の熱湯、蒸気が絶え間なく吹き出ており、
地獄を想わせる光景が広がっております
地獄を見おろせる小高い丘の上には、十字架型の慰霊碑が立っております
この雲仙地獄は、江戸時代の宗教弾圧における拷問場所としての歴史もあり
当時はまさにこの世に現出した「地獄」だったのでしょう
山を下りまして、南島原市内へ入りました
自分が「島原」と聞いて連想するのは
雲仙普賢岳関連の火山災害と、島原の乱になるでしょうか
その島原の乱における最大の激戦地であり終焉地でもあります
史跡・原城跡に来ました
麓の駐車場から歩いて向かいます
けっこう距離歩きますね
「跡」ですので、基本的にこのような野原が広がるのみであります
城があったと思わせる地形はしておりますが
原城の中心部である本丸跡地区に入りました
重ねて申し上げますが「跡」ですので
本丸跡地も広場のようになってまして、何もございません
眼下には島原湾の穏やかな海の景色を見渡せます
が、日本史上最大の一揆「島原の乱」終焉地であり
史料によれば一揆勢・約37000人、幕府側も約5000人の死者が出ているとのことで
およそ40000人もの命が散った場所であると思うと、
何とも形容しがたい気分でございます
広場の片隅に、天草四郎の像と
天草四郎の墓碑が佇んでおりました
すみません、失礼ですが写真撮らさせていただきました
熊本県で天草方面を回った時に島原の乱にゆかりの史跡や資料館など行きましたので
長崎県に入ったらこちらも来てみようと思ってはいました
自分は、その類の「もの」あるいは「念」といったものを見たり感じたりする力はありませんが
そっち方面の感受性の強い方は、こちらを訪れる際はお気をつけになったほうがいいのかもしれませんね
ということで原城跡で島原観光を締めくくりまして、島原半島から離脱
途中で、数か所ダムに寄って
後日ブツいただくために必要な来訪証明写真を撮ったりして
大村市内まで移動したところで、本日の行動終了であります
ちょっと、夜になってから雨が降りだしました
明日は雨中での活動になりそうでしょうか・・・?










































