皆さまこんにちは。
宙組再開のお知らせから、HPには
桜木みなとさん、瑠風輝さん、
鷹翔千空さん、風色日向さんの画像。
キャストボイスもアップされ、
チケット抽選が始まります。
「ようやく…」の感。
もし幸運を頂けるなら…
一度だけでも良いから宙組生達の姿が見たいです。
ブログの立ち位置
今日は前からずっと気になっていた
この話題(掲題)。
考え方の違いによって争う人の多いこと…Xやブログ、ヤラセもあるとの前提で、
ヤラセでなく本心で書いている人もいて、宙組再開についてまた始まっている…
叩いたり叩かれたり、自分こそ正義!と
コメントしてみたりそれに反論したり…
…と、それが面倒なのでこのブログでは
コメント欄は設けておりません。
コメント欄がないと…
ファンが増えにくく、
イイネもつきにくく、
順位とやらも上がりにくい
…のだそうですが。
一方通行だけれど反論を気にせず書けるのでとても楽…
続けるため、私にはこれがベストです。
今後、記事によってコメント欄を開ける事があるかもしれませんが。
そもそもブログは日記代わりだと思っているので…
特定のプロのブロガーさんを除いては、収益なんてほぼ無くて書く時間だけかかります😁
時間を費やして自分の考えを書いているのに反論されてもどうしようもないので、
「なるほどー」とか
「そんな見方があるのかー」とか、
一方で、
「この人の考えは合わない」と思うなら
スルーして避けてもらえば良いので…
”宝塚”
という共通ワードのみで、読んだり読まれたりというブログの世界。
著者も読者も、知らない者同士です。
ただ…よく意見を見かける某ブログ。
Xを見ていたら「酷い」とあったので、かな〜〜〜り久しぶりに覗いてみたら…
酷い中傷ですね、あれは許されるのかなぁ、名前さえ出さなければ良いというものではなくて…
誰のことなのか、ファンならわかると知っていて書いていると思うので。
それでも観劇している様子なので宝塚が好きなのか嫌いなのか、
こちらの頭が混乱してしまいそう、だからやっぱりスルーするしかなさそうです。
私の宝塚観
宝塚ファンとしていつも思っていること。
・多大なる期待をしない
・ジェンヌさんは当然「芸能人」
・ジェンヌさんを“理想化”しない
・ジェンヌさんにも感情があり、
“普通の人間”であると心得る
・宝塚は“舞台”という“作品”を見に行く
場所でありただの娯楽の一つ
宝塚の舞台も、タカラジェンヌさん達も
“鑑賞し、愛でる対象”として存在する、
という宝塚観。
人間なので色んな性格の人がいて、
聖人君子のような人ばかりのはずがなく、
蓋をあけたら中では大喧嘩しているかもしれないし、
それこそパワハラもあるかもしれない。
パワハラはダメという前提で、です。
それでも、何でもすぐ“ハラスメントだ”
と事件にされてしまう世の中 。
しかも、世代間での考え方の違い…その差は猛烈な勢いで開いています。
本物のお花畑のような世界
人柄の良い人ばかり
誰も怒らない
誰も悲しまない
誰もが楽しくて幸せしかない
指導なく後輩の芸が勝手に磨かれる
誰にも“辛い”という言葉が存在しない
そんな世界があるはずありません。
それどころか、この世は“娑婆世界”。
【娑婆】(しゃば、さば、梵: sahā, サハー)
仏教において、釈迦が衆生を教化するこの世界、
すなわちこの世のこと。
仏教における三千世界の総称であり、娑婆世界、
娑界ともいう。
「サハー」には、その意味を表す「忍土」という意訳語もある。
忍土とは「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味。
そう、この世は
「苦しみを耐え忍ぶ場所」なのです。
(仏教徒なのでそう辿り着きます)
タカラジェンヌさん達が、日々お花畑でフワフワしながら技を磨いている
…なんてことはあり得なくて、
“汗と涙”という言葉がよく出てくるほど、
辛く、厳しく、苦しくて、
ご自身の限界と闘いながら鍛錬されているのだと思います。
才能があるから入学・入団を果たし、
その才能を“技”に昇華させるべく、
更に磨きをかけるのですから。
…苦しくないワケがありません。
経験の無い人には一生理解できない苦労です。
そんな裏側の部分を、私は敢えて見たいとは思いません。
“夢…舞台という作品”を作る芸術家は、
その裏側を見せてはいけない時もあると思います。
辛い“汗と涙”の鍛錬の末に出来上がった
舞台という表側を作品として観させて頂いているので、
私はそれで良いと思っていて、裏側まで知りたいとは思いません。
「作品」を評価して買う(座席のチケット)だけの、ただの「顧客」ですから…。
創り手の彼女達はそれ(磨いた芸を観てもらうこと)を望んで舞台に立っていると思うので、
観る側はその表側としての作品に感動して精一杯の拍手を送るだけです、“客”なので。
そして、これだけSNSが発達した世界の中で、ジェンヌさん達だけが別世界で生きているはずがなく、
当然、ご家族やお友達はSNSに精通されているはずですから、
SNS全般またメディア等も含めて、当然、自身が何を言われて何を書かれているのか全てご存知だと思っています。
“価値観”
夢の舞台の裏側を開示した途端、夢は消えてしまう…
誰もが疲れる日々の現実から逃れたくて宝塚へ夢を観に行くのに、
内部のゴタゴタを暴露する人が居たり、
週刊誌にリークする人がいたり、
それを信じてファン同士がいがみ合ったり、叩きあった挙げ句、
宝塚ファンをやめてしまったり、ご贔屓を観る機会さえ失い、
宝塚を悪く言い回ったり、果てはご贔屓だった人のことまで貶したり。
悲しいですね…
宝塚やご贔屓のことを“理想化”し過ぎていたのでは。
全力で応援して楽しんでいた時もあったはずなのに、勿体無いなぁと思います。
自分の価値観が一番正しいと思い、それを相手にも求めようとするから揉めてしまう。
そもそも平行線を辿る議論に正解などなく、どちらかが正しいとも判断できず、
でもきっと間違えてもいない、思想は自由ですから。
ですが、相対する者同士には、
「向こうが間違えている!」と見えてしまう。
「私はこう思う」
「あなたはそう思うのか…」
「考えが合わないけど仕方ないね」
それで良いと思いません❔
今の話題で言えば宙組のこと、再開のこと。
宙組を「私は観ない」人はチケットを取らずに、観なければ良いだけなのに、
何故わざわざアンチコメントをするのでしょうね💧
自死の事には触れませんが…
敢えて言えば、これを議論するには受け止める人それぞれが置かれている立場、
または育った環境や思想等によって大きく価値観が分かれるので、
素人が議論してもきっと永遠に平行線が続きます。
その議論は、場合によって誹謗中傷につながることもある…。
こちら側の考えを、逆にあちら側の考えを、お互い理解することは…
無理だと思います。
その考え方が折り合い、交わることなど絶対に無いです。
価値観の違いはどうしようもないので、理解し合える日はきっと訪れないと思います。
私はと言えば、繋がっているヅカ友さんとは、それとなくその話題になると、
「同じ感覚だな」と感じます。
とてもデリケートな問題なのでお互いに言葉を選びながら会話して、
「…だよね?やっぱりそう思うよね?」と同意し合います。
“友”とは、もし価値観が同じではなくても、相手の価値観を認め合える相手。
だから“友”になれる。
その上で”宝塚”に関しての価値観が通ずる人がヅカ友さん。
「私はこう思う」が=(イコール)の人と宝塚の話をすれば楽しい、
ただそれだけのことかな、と。
叩いたり叩き返したりするのははっきり言って、時間と精神力のムダ。
場合によっては自分が損をします。
一つの話題に対して、決して折り合わず平行線…を繰り返してしまう人とは、
議論しても仕方ないし、
“友”にはなり得ない。
宙組の事で宝塚から離れる人は、やっぱり同意し合える人と集うのでしょうし、
宙組の事で宝塚を叩く人の元には似た人が集まるのだろうし、
価値観が引き寄せ合うので、その人達が良ければそれで良し。
ただ、誹謗中傷はやめて欲しい。
いえ、やめるも何も、してはいけない。
言いたければブログやXに公表して書くのではなく、仲間同士の内輪話で止めて頂きたいものです。
悪口を公表することは、週刊誌など各種メディアがやっていることと変わらないのでは。
私は、宝塚の舞台をどうせ観るなら、
肯定的に、
同じ価値観の人と、
末永く楽しめる趣味として観ながら、
ポジティブに宝塚ファンでいたいなぁと思っています。
ピンク色、可愛い!欲しい〜!
↓