皆さまこんにちは。

 

今日は「無題」と称して記事を書いてみました。

 

ブログの題名はある意味罪深いもので、内容が空っぽでも読者は題名に興味があるとクリックします。

 

そのクリックはポイントとなります。

要はブロガーの収益です。

 

題名を見てクリックしたくなるとき、私は一旦クリックしないでおいて、

そのブロガーの、その日以前の「題名」を見てからクリックしない選択をすることが多いです。

 

 

  「意志(意思)」は権利

 

私は宝塚が好きで、芸を磨くことに頑張っているジェンヌさん達が好きなので、

宝塚の体制や慣例には、実はあまり興味はありません。

興味がないというか、過去に3つの企業経験をしたことから、悲しいけれど、社会ではそういうことも、ある、と認識しているから。

 

ジェンヌさん達は「舞台で輝きたい」という「意志(意思)」で音楽学校に入学し、入団されたことと思います。

あくまでも親の意思ではなく「自分の意志と意思」で。

 

私自身、厳しい業務競争、妬みによるイジメを3度、猛烈なパワハラ、そしてセクハラ、モラハラの全てを経験し(きっと私だけでなく)

全て自力で乗り切り、自力で職責の上まで登り、働きながら自力で2つの大学を卒業し、

自力で技術の世界に身を移し、現在も技を磨く苦労継続中なので、

教えを請える場と機会があるならば、多少遠くても、費用をかけても馳せ参じます。

 

…だから、昨今の何でもハラスメントとされる世の中がある意味心配でもあります。

とても頭の古い人間です、ご容赦下さい。

 

諸々騒がしいですが…

舞台に立つことを阻止されて忍耐強く耐えている宙組さん達。

「必ず舞台に立つ」という強い「意志(意思)」で耐えておられると思います。

 

思いを抱くことは自由であり権利です。

 

その宙組さんの公演を、同様に忍耐強く待つ気持ちは全く変わらない…

…どころか、応援の気持ちが更に増すばかり。

きっとこんな人、多いと信じたいです。

 

 

 「強情」も悪くはない

 

私自身、幼少から「強情」だとよく言われました。

でも「強情」って必要だと思います。

 

5歳の秋、お友達と冒険したくなり、2歳の妹を連れて少し遠出したことがあります。

遠出といっても徒歩20分程の場所。

 

遊んでいて気がついたら日が暮れ始めていて、妹のオムツはびしょ濡れ。

眠くなった2歳の妹を、5歳の私がおんぶして帰路を急ぎました。

 

探しにきた母親に遭遇し、めちゃくちゃ怒られました。

帰宅してからお風呂場に閉じ込められました。

 

「謝りなさい!」と。

 

でも…

謝らなかったんですね、これが。

 

2歳の妹をおんぶしていた私の背中はお漏らしでびしょ濡れでした。

 

5歳ながらに「妹を守った」自信があったのに、そのことには触れられず一方的に大激怒されてしまった。

 

そりゃ2歳児を連れ出した私も悪い。

けれど、2歳児を5歳児に託した母は悪くなかったか?

 

…と、母になった今ならそう考えます。

5歳児ながらに思いました。

 

「私だけが悪いのか?」と。

 

一方的に、歳上の私が悪いと怒られた。

妹を守ったことなんて一切関係無し。

何の言い分も聞いてくれずお風呂場へ。

 

絶対に謝るもんか!

です、頑固で「強情」な5歳児は。

 

秋は深く、お風呂場は寒い。

(今なら虐待💦)

泣くのも悔しい。

経済的に加え、躾も厳しく育ったので、反骨精神だけは人一倍だった私は泣かない子でした。

この状況で泣くことさえ悔しくて、涙なんて見られたくなくて、凍える風呂場で膝を抱え、声を殺して泣きました。

(なんて可愛くない5歳児💧)

 

気がつけば朝、布団で寝ていました。

風呂場で寝ていた私を移したようです。

 

結果、絶対に謝りませんでした。

さすがにこれは「強情」すぎましたね💧

でも、この「強情」さがあってこその、その後の人生だったはず。

「強情」も悪くはない…

強情は「意思の強さ」の表れだから。

 

相手が謝れと言う内容に、自分の中で納得がいかなければ、たとえ5歳児であっても謝れないのです。

相手(この場合は母)が「自分も悪かった」と、自身の過ちを認めてくれていたら、

態度も少しは違ったかもしれません。

人と人とがぶつかった時、どちらかだけが一方的に悪いなどということはありえないと思うのです。

(※私の母子関係は良好です、ご心配なく😁)

 

何が言いたいのか言及は避けます、お察し下さい。

 

 

 その言葉、大丈夫?

 

さて。

「表現の自由」により、何を言っても許されると誤解している人が多いですが、

「表現の自由」の名の下に、その案件とは無関係な素人が誰かを裁く権利などなく、

また、その「表現」が、対象とする人を苦しめることは逆に名誉毀損や人権侵害、引いては二次被害につながりかねません。

 

「表現の自由」には目に見えない限界が伴うこと、自分のその「表現」が無意識のうちに言葉という武器になり、

その対象者をその武器で突き刺して追い込んでいることが多い、と気付かねばならないと思うのです。

 

以下、ネットより引用させて頂きました。

  • 表現の自由とは、個人が表明する思想・意見・感情などについて、公権力に規制されない自由のこと
  • 表現の自由は無制約ではなく公共の福祉に反する場合は制限される場合がある
  • 公共の福祉とは他者の権利を侵害しないことだが、規制と自由の兼ね合いが課題
  • 表現の自由を制限する場合は必要最小限でなければならない
  • 誹謗中傷やヘイトスピーチは表現の自由として認められない

 

今日は星組のショーのことを書きたかったけれど、世間の話題に少しぐらいは反論したくてこの内容としました。

 

次回は少し楽しい?話題を🎵

 
🌟お読み頂き有難うございました🌟

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