感じ続けるしかないいんだなあ。

 

「お経を毎朝あげる、ドラマや漫画で感動する。」

そんな話を、別に認めて欲しいとかではなく、ただの話題として、

最近こんなです、と会話の場でお伝えした。

 

そしたら、その場に一緒になったお二方は、

「毎朝のルーティンはないし、テレビも見ない」と。

そのうちのお一人は、ドラマや小説って、ストーリーだと思ってしまって

全く入り込めない。しかもドラマは、現実のストーリーよりも、

明らかに誰かが作ったものだから、もう、全然、作り物って感じちゃう、

俳優さんが演技してるのも、演技だって感じちゃって、白けちゃう。

 

みたいなお話だった。

 

そう言われてしまって、感じたことが確かにあったのに、

言葉にならなくて、もやもや、もやもや、あとはただ、なんとなく合わせて、

終わってしまった。

 

1日、2日、何を感じたのか、何を言いたかったのか、考えていて、わかった。

「そりゃ、確かにストーリー。何もかもストーリー。

 でも、それを通して感動があって、その感動がすごく響く、ああ、いいなぁって

 思う。捨てたものじゃないなぁって思える。

 何にもないって、バカにしなくていい、そう思える。」

 

そして、さらに

「そこに対して意見を言うことで、相手に悪い気になってほしくない、

 反論、議論になりたくない、こいつわかってないなーって思われたくない、

 ルーティンがあるって苦しくない?って思われたくない」

などなど、出てくる、出てくる。

 

相手の方は別に、私に攻撃してない。

静かに、「私はこう思うんだよね」と思いを言っただけ。

私も、思いを伝えればよかっただけなんだなぁ。

同じように感じて欲しい、とか、押し付けなくていい。

でも、同意して欲しくて、してもらえなくて寂しかったんだな。

それだけだ。

 

別のルームのお話を聞いて、

「私はこう思う」「え、でも、こうじゃん?」というのをけっこう続けていて、

でも、全く喧嘩や議論じゃなくて、そういう前のめりの興奮を全く感じなくて、

思っていることを素直に、隠さずに、伝えあっていて、なんの亀裂も感じなくて、

「真反対の意見を言っていいんだ」って思えた。

 

「もっと"私、バカなんです"を出していいんだよ」って、

「賢ぶるから苦しいんだよ」が刺さりました。

確かに。確かに、すぎる😭

 

「私が以前こう思ったけど、今はこう思うんだよね、って、

 どんどん思うままに変えたら、周りも、変えていいんだ、ってなって、

 みーんな楽になった」って話されていた。

ほんとにそうですよねー!

 

聞けて良かった。

私ももやもやを感じることで、そこを見ないフリしないことで、またほどけた。

そして、もやもやのない生活を良しとして、ジャッジしていたことにもまた気付く。

 

何度でも。

 

全てにありがとう🙏😊💖

 

(9月11日の加筆・修正です)

ありがとう