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徘徊事故のニュースを読んで、ふと20年前私が働いてた病棟のことを思い出しました。
私が痴呆病棟で仕事をしてた頃、徘徊している患者さんが、「済みません。⚪️⚪️には、どう行ったらいいんでしょうか?」と、道を尋ねるんですね。
私は、真っ直ぐ行って左に曲がった所にありますよ。と答えてました。
廊下の造りは一周するように出来ていたので、いつもそう答えてました。
また会うんですが、また同じことを聞かれます。また、初めてのように同じことを答える。一日に何度もその繰り返しでした。
徘徊している人は、ただ徘徊しているのではなく、何処か目的の場所へ向かっている。または、その目的地を探して歩いてるんだと思います。
その記憶は、人生で一番良かった頃の記憶なんじゃないかって、私は思いました。
時代が変わってしまい、記憶の中の探してる場所に辿り着く事が出来ず、探して歩いてるのではないだろうかと。
母は、若年性アルツハイマーで亡くなりました。 私の年齢で既にアルツハイマーで、あるとき父が言いました。
「昨日は、ちょっと目を離したすきに、お母さんが吉木の方に向かって歩いて行ってた。何処に行くつもりやったんやろう。油断も隙もない。」と言った言葉を思い出して、今になって思うんです。
私が小学校5年のときに、2度目の家を建てて引っ越しました。
最初の家には、祖母、両親、姉、兄、私の6人が住んでいました。
姉は、私が幼稚園の年長のときに、事故で10歳という若さで亡くなりました。
母は、きっと家に帰ろうと歩いてたんだろうな・・・と今になって思うんです。
あの頃、私はまだ20代前半でした。
私の中に、意味のない事なんて何一つない!と思っているから、徘徊と言われる行為をしてる人は、長年サラリーマンしてた人は、会社に向かって歩いていたのかも。
自分で商売してた人も、そこに行こうとしてたのかも。 母みたいに、家族6人で暮らしていた昔の家に帰ろうと歩いてたのかもしれない。 新しい記憶は消えて、古い記憶が残ると言われてます。
私も子供の頃の電話番号、引っ越し前の最初の電話番号と引っ越し後の電話番号を今だに記憶していてスラスラ言えますが、大人になってからの電話番号、離婚して暮らしていた電話番号は記憶に残ってないんです。
私の考えですが、人生において一番良かった頃の記憶が残っているのではないだろうかと思われて仕方ありません。
だとすると、私は家族5人で団地暮らしをしながら子育てしていた、あの頃の記憶だけが残るのかな?
あの団地に帰りたくて、団地を探して歩くのかもしれません。
誰にも今更話さないけど、誰しも自分の心の中に、一番幸せだと思えた昔の思い出があるはずです。
その場所に、心に扉をしなくてよくなったときに、行こうとするのかもしれないですね。
母の幸せだった場所は、二度目に建てて住んでた家ではなく、姉兄みんなが生まれて育った、母が子育てしていたあの家にあったんだと今の私には分かります。
母がアルツハイマーになった頃は、まだまだアルツハイマーのことは分からなくて、私も若すぎて母の介護が出来なかった。
今なら、沢山のことを理解してあげれて上手く母に付き添うことができたかもしれない。もっともっと病気の母に優しく出来たかもしれない。
死んでもなお、私を支えてくれた母。今も私の中には、「一人じゃない!いつもお母さんが一緒に居る。」と言いに来てくれた母の言葉が、私を支え続けている。
今では介護する親も居ない。今なら上手に受け止めらるのに。
母を亡くして介護の道に入った。 生きてるときに何も出来なかった事を悔やむ。
徘徊して事故にあい亡くなられたニュースの男性は、きっとふらふら歩いていたわけではなかったんだろう。 何処か目的の場所へ行こうとしてたんだろうな・・・と思い巡らせる私でした。